もちろん自分が「何でもできる」だなんて、そこまで自惚れてはいないけれど。
それでもこれまで、どれだけ養父に庇護されていたかは、彼を喪って初めて思い知った。
史上最年少で祓魔師になって、天才だと大人たちに褒められて。
これで自分は一人前の祓魔師だと、養父と二人で兄を守っているんだと思っていたけれど、その実のところはまだまだ自分も獅郎の庇護のもとでヨチヨチしていたに過ぎず、 こうして一人になってみれば守るどころか、ちっとも言うことを聞いてくれない自由奔放な兄に振り回されてばっかりだった。






色違いのジェミニ





真面目に授業を聞けと言っても、聞かない。
宿題をさせようにも、集中力は最長5分で話にならない。
祓魔師の世界に関わる前から、あまり一人で遠出をしたことのない兄にとっては、入学したての学園内ですら物珍しくて探検したくて堪らないのだろう。
せめてじっと大人しく待っていろと口を酸っぱくして言い聞かせても、油断しているとすぐにどこかへ行ってしまう。

現在置かれている状況の厳しさやら、祓魔塾での不真面目さ。
その他諸々のとにかくいい加減というか、無自覚すぎる兄の態度が原因で兄弟喧嘩が勃発し、いいかげん堪忍袋の緒が切れた雪男が大量の課題を燐に言い渡して、任務へと出かけたのが4時間ほど前のこと。
さすがにあれだけ正論を並べてお説教すれば、多少は言いつけを守ってくれるだろうと淡い期待をしていただけに、帰宅した部屋がもぬけの殻になっていたのを目にした雪男のストレスゲージは一気に 上限いっぱいまで跳ね上がった。

開いたまま、机の上にほっぽり出された教科書とノート。
何も書いていないならまだ諦めもつくのに、ノートの右下すみっこにえらく描き込んだラクガキがしてあって、それが更に雪男の苛々を掻き立てる。
勉強のためになる一文字は書けないくせに、こんなつまらないところには集中力を発揮できるのかと、むかむかしながら兄が放りだしていったノートを手に取った。
燐は昔から運動神経だけは人並み外れて優れていたけれど、学力やら絵心の方はからっきしだ。
そんな彼が描いたラクガキはもちろん上手であるわけがなくて、妙な方向に無駄に影が付いていたり体のバランスが崩れていたりと、冗談みたいな出来栄えだった。

「・・・なにやってんだよ、兄さん」

きっと小学生だってもっと上手に描くだろう。
さっき、何が原因で口論になったか全く理解していない様子の燐に、愚痴混じりの溜息が出る。
耳がとがって、尻尾が生えて、片方の手には剣のようなものを持ったまま、万歳のポーズの人―――ひょっとして自画像のつもりだろうか。
何度も消して描いてを繰り返したらしく、よれよれにくたびれているノートが気の毒になりながら、何の気なしに一枚ページをめくった雪男は次のページのすみっこにも同じようなラクガキが 描かれているのに気が付いて、軽く眉を寄せる。

前のページと同じ場所、ほぼ同じポーズ、制作二度目にも関わらず相変わらずの低いクオリティ。
何だこれはと思いながら、捲ってみた次のページにも、それからさらに次のページにも下手くそな燐の似顔絵は続いていて―――

はっと思い至って、雪男は一度ノートを閉じると、ゆっくりと一ページ目から順番にパラパラと一定のスピードで捲っていった。
するとよれよれノートの右端で、万歳のポーズをしていた燐がゆっくりゆっくり頭を下げて、まるでお辞儀をしているみたいに動いていく。
燐が頭を下げきったところで今度はすぐ横にいびつなふきだしが出てきて、これまた下手くそな字で『ご』『め』『ん』『な』『さ』『い』と短いメッセージを並べ、おじぎから元の姿勢に起き上がったところで、 ノートの隅は白紙に戻った。



ごめんなさい。



それは謝罪。
反省のことば。
仲直りしたいよ、と。そんな気持ちのこもった言葉。
自分が相手だと意地を張ってしまうのか、ほとんど兄から真面目な口調では言われたことのないそれを思いがけないかたちで伝えられて、雪男は緩んでしまいそうになる口元を掌で覆った。
まさかこういう手段で謝ってくるとは思わなかったから、怒りよりも可笑しさの方が先に立って困ってしまう。
ぱらぱらマンガでゴメンなんて、きっと自分以外の人間にはふざけているようにしか見えないだろうけれど

―――ごめん、じゃなくて「ごめんなさい」だから。

小さい頃から真剣に謝るときにだけ燐が口にする、一番気持ちのこもった謝罪だと雪男は知っているから、もうそれ以上怒る気にはならなかった。
・・・・もちろん「とりあえず今は、」だけど。

少し思案した後おもむろにペンを手に取った雪男は、パラパラ漫画の一番最後のコマのページを選んで開くと、燐のラクガキに重ならないように赤で大きな円を書き込んだ。
どうしようかちょっとだけ考えて、円を二重丸にした後、さらにその中へきれいな字で「もうすこし、がんばりましょう」と書き足してやる。
それは小学生の頃、点数の悪い答案用紙に捺されるハンコのデザインだ。
少々意地が悪いかとも思ったけれど、子供時代さんざん貰って毛嫌いしていたスタンプとの再会に、燐がどんな顔をするか想像したらちょっと楽しくなってしまう。


思った以上に上手に書けたことに満足した雪男はノートとペンを元通りの位置に戻すと、逃亡中の燐を探す為にもう一度靴に足を突っ込んで部屋のドアを開けた。