毎日の昼食にかかる費用が二千円前後が当たり前だなんて、なんて無駄な出費だろうかと学食へと向かうクラスメートたちを眺めながら思う。 奨学金で勉強をしている身の上だけど、その実はちゃんと一人前の祓魔師として仕事をしている社会人でもある雪男には、学食ランチの二千円は別に払えない金額というわけではなかったが、 二、三度足を運んだあたりで飽きてしまって、今はすっかり燐のお手製弁当一筋だ。 もともとはあまりに一カ月の生活費の支給額が少なすぎる燐を、援助する為に持ちかけた毎日の食事とお弁当作りの仕事だったのだけれども。 実のところ一番助かっているのは資金援助を受けている燐ではなくて、食事の心配をしなくて済んでいる自分の方だったりもする。 なにせ、料理のことはこれっぽっちも分からないくせに、無駄に舌だけは肥えているという厄介な雪男だ。 お金持ち学校だけあって学食のシェフの腕は文句なしに良いし、料理のバリエーションだって毎日通ってもジャンルが重なるなんてことはないくらい豊富なのだが、それでも。 大勢の人間にまんべんなく受け入れられる味というのはどこかよそよそしくて、食べているうちに何だかつまらなくなってしまった。 燐は決して料理のプロではないけれど、どこへ出しても恥ずかしくないだけの腕は持っている。 腕前で見劣りしないなら、雪男の食の好みを知り尽くしている燐の作った料理の方が美味しく感じるのは当たり前で、ジャンルが和と洋に限られているにしてもコストパフォーマンス面まで乗っけて 比べてみれば、軍配はあっさりとお手製弁当に上がった。 「ただいま」と帰れば、おかえりよりも先に「弁当箱、流しに出しとけよ」と返されて、雪男は夕食の準備が整いつつあるテーブルに鞄をのせ、中から弁当箱を取り出した。 包んでいたナプキンを解いて、流しの前に立つ燐の背中に近づく。 別にそのまま置いておけばちゃんと洗っておいてくれるのは知っていたけど、料理をするところを見ていたくなった雪男は隣に並んで、忙しく立ち回る兄の邪魔にならないよう少し遠慮して蛇口をひねり、スポンジに手を伸ばした。 古い建物、イコール設備ももちろん古いから、お湯の蛇口をひねってもすぐには温かい湯はこない。 帰宅したばかりで体が冷えているのに、そのうえ冷たい水に触るのがイヤでじっとお湯が出るのを待っていたら、隣でキャベツを刻んでいた燐が雪男の空になった弁当箱を覗きこんで笑った。 「よしよし、ちゃんと完食したな」 「うん、ごちそうさま。今日も美味しかったよ」 「そりゃー良かった。こっちも作り甲斐があるぜ」 昔は何でも「兄さんはすごい」なんて思っていたけど、今ではほぼ九割方立場が逆転していて、雪男が燐を手放しに褒めることができるのは悲しいかな、料理の腕前くらいになってしまった。 だからせめて、素直に称賛できる部分はめいっぱい褒めておいてあげようという雪男なりの気遣いなのだが、そんな微妙な空気なんて読めるはずのない燐は得意げに胸を張ってみせる。 言ったらムキになって怒るから、なるべく口には出さないけれど本当に兄さんではなくて、弟みたいだ。それも、とびきり手のかかる弟。 微笑ましいというよりは、そんな少し意地の悪いことを考えて口元を緩ませた雪男を見上げて、なにも知らない燐はご機嫌な鼻歌まじりに止めていた手を動かし始めた。 ざくざくと、キャベツを刻む音。 リズミカルにテンポ良くどんどん細切りになっていくのを見ていると、すごく簡単な作業に見えるのだけれども、それが実はなかなか難しいことなんだと雪男は身を持って知っている。 「兄さんて、ほんと料理上手だよね」 「あー、まぁ、お前よりはな」 いつだったか、修道院の大人たちがみんな忙しくしていて、燐と雪男の二人が食事当番を手伝うようにと養父から言いつけられたことがある。 その時に二人に任された仕事がキャベツの千切りだったのだけど、どんなに丁寧にやろうが、時間をかけようが、雪男の切ったキャベツの幅はどうしても細くはならなかった。 雪男が思い出していた出来事を、ぴったり同じタイミングで燐も思い浮かべていたのだろう。 細い肩が「くくく」と押し殺した笑いに揺れて、ほんの一瞬だけ手が止まる。 「ありゃ酷かったよな、なんでだろうな?お前だって別に不器用ってワケじゃねーのに」 「千切りじゃなくて、百切りだったよね」 「百どころのレベルじゃねえよ、あれは…‥そう。『きしめん』だったな」 「や、そこまで太くなかっただろ。っていうか、何だよきしめんって。食べたこともないくせに」 「んじゃ、お前。リベンジしてみるか?ちょうど切ってるところだし」 ほれ、と。包丁を差し出されて、ぐっと言葉に詰まった。 ひょっとしたら昔よりはマシになっているかもしれないが、燐の許容範囲の幅に切れる気は全然しなくて―――それよりも燐の言う通り『きしめん』な分厚さになってしまう危険性の方が高い気がする。 自分が料理ができないのは分かり切っていることだけど、それをネタに燐にからかわれるのはイヤだった。 とたんに難しい顔になった雪男に、燐は冗談だよと軽く笑って再びキャベツを刻みだす。 シンクに並べた大皿には、くし切りのトマトと茹でたブロッコリーがちょこんと乗っている。空いたスペースには今刻んでいるキャベツと、メインのおかずが乗るんだろう。 「今日のご飯はなに?」 学校から帰って、お腹を空かせながら夜ごはんの献立を聞く。 きっと同じ年頃の、普通の家庭の子供だったら当たり前に母親と交わしているだろう、他愛もない会話。 だけどそんな日常でさえ自分たちには縁遠いものだから、こうやって二人並んでこんな話をしていられることが、とても幸せだと感じてしまう。 「今日はなー、豚の生姜焼き。ちなみに明日の弁当にも入れるんで、よろしく」 「うん」 「明日の晩メシは、お前の好きなもんメインにするから」 「うん」 「っつうか、食いたいもんリクエストあるなら言えよ?」 「僕は兄さんの作ったものなら何でも美味しいから、いいよ」 何でも美味しいというのは、嘘じゃない。 それに、いちいち言葉にしなくたって燐はちゃんと、雪男の好みをちゃんと考えて夜ごはんもお弁当も用意してくれているのを知っている。 (―――ああ、そうか) 学食のシェフが作るランチと、燐の作るお弁当。 できたての熱々じゃなくても、前の晩の夕食のリサイクルでも、手作りの方が飛びぬけて美味しいと感じるのはつまり、そこに込められている「愛情」の差だ。 毎日飽きさせないように、元気で居られるように、ちゃんと考えて作られている食事。 燐だって疲れたり、気が乗らない日だってきっとあるだろうに―――さぼることなく準備されている食卓に、自分が愛されていることを実感する。 「兄さん」 「あ?」 「いつもありがとう」 いつものきびきびとした口調ではなく、ほんのすこし甘えた響きになってしまった雪男の声に、燐は不思議そうに瞬いて、それからこそばゆそうに首を竦めた。 「なんか今日のお前、気持ち悪りぃ」なんて失礼な事を呟きながら、熱々のフライパンに下味をつけた肉を並べていく。 その燐の耳がいつもより赤くなっているのを近い距離から見下ろして、こっそり笑った雪男は黙って洗い物を再開した。 |