旧男子寮のエントランスに掛けられた年代物の振り子時計が、まあるい音で午後四時を歌っている。 燐と雪男の二人しか住んでいない旧男子寮はいつも静かなのだけれど、一方が出掛けてしまって一人きりになってしまうと、本当にシンと静まり返っていて耳が痛いくらいだ。 授業のある日はずっと一緒でも、休日は雪男だけが任務で外出したりと予定が別々になることも多いから、日曜日はお互いになるべく必要以上の干渉はせず適当に過ごすのがルールになっているのだけれど。 (…‥暇だ) いつもならば何かと用事を作ってあって、毎日きっちり予定が埋まっているはずのスケジュール帳。 それがどういう訳か、ぽかんと一日まっしろに空いてしまっている、本日学校も塾も休みの日曜日。 それでも午前中は燐と二人で手分けして、掃除やら洗濯やらを片付けて時間を潰したのだが、午後になって燐が「マンガ借りに行って来る」と志摩たちのところへ出掛けて行ってしまった後は、もうどうにも暇で。 読みかけだった本を開いてみても、ふらりと散歩へ出てみても何だかイマイチ楽しくなくて、予定より早く帰ってきてしまった。 こんな中途半端な時間に帰っても、まだ兄さんも戻ってきていないだろうな、なんて。 玄関のドアを開けたところで考えて、誰も居ないからっぽの寮の中で暇を持て余すなんて、ますますしみったれてるなぁと気分が更に下降する。 そんなに退屈なら足りない睡眠を補うために、昼寝でもしていればいいのだけれど、それを帰宅してきた兄に見られるのはちょっと癪だった。 (一人の時間を持て余すなんて、子供みたいっていうか…‥) 一人じゃ楽しくないなんて、それじゃまるで兄のあとをくっついて回った幼い頃と同じと思われそうで、何か嫌だ。 別に今更、あれこれ取り繕うような間柄ではないのだけれど、ただ一つだけ。 兄に依存していると思われるのだけは、どうしても癪だった。 大きな窓から入る日差しで、部屋の空気はぬくぬくと暖まっていた。 太陽が空にいる時間が長くなってきたおかげで、室内は古い造りにもかかわらず、夕方に近いこの時刻でも暖房を使わなくてもじゅうぶん快適だ。 見回すまでもなく、誰も居ない。 しんと静まり返った室内に「やっぱり帰ってきてないか」と、少し面白くない気持ちで上着を脱ぎかけた雪男は、燐のベッドの上にこんもりとシーツが山を作っているのに気がついて手を止めた。 それは今朝、出かける前に二人で干した、それぞれのベッドのシーツ。 いつ戻ってきたのかは分からないが、きっと。陽が落ちてシーツが冷えてしまう前に、燐は一旦取り込みに帰ってきてくれたのだろう。 その心遣いはありがたいが、どうせならちょっと畳んでくれれば良いのにと思う。 こんなところに適当にくしゃくしゃと放り出しておいたら、せっかく皺を伸ばして干した意味がなくなってしまう。 料理は完璧だけど、掃除洗濯はどちらかと言えば大雑把な兄だ。 むしろきっちりしている雪男よりは、そんな燐の方が一般的な高校生男子らしいのだろうけれど、でも あまりにくしゃくしゃと投げ置かれたシーツを見ていたら、なんだか自分のことを適当に扱われたような気がしてきて、少し面白くなかった。 志摩たちと遊んでいる時間と自分の事。その重要さを計りにかけたら、こっちのほうが軽く跳ね上がってしまったみたいな。そんな気分。 (…‥そんな細かいこと、気にしてる僕の方がおかしいんだ) 分かっている。 分かっているけど、頭で考えることと心が感じることは別。同じとは限らない。 腹を立てるまではいかないけれど、機嫌が悪いことは確かだ。 虫の居所が悪いというのは、こういうことなんだろうなと思いつつシーツに近付く。せめて自分のぶんだけでも綺麗に畳んでおこうと、ベッドの上に丸まった布の山の裾を引いた雪男は、 予想外の重たい手応えに首を傾げた。 「何だ?」 引くのをやめて、捲ってみる。 めくりあげたら布地の下からカバーの掛っていない枕と裸足の爪先がちらりと覗いて、雪男は黙ってシーツを元に戻した。 かわりに最初とは反対側の裾をそっと引き上げると、シーツの作る薄闇の下で猫の子よろしく背中を丸めた燐と、ちいさな黒猫姿のクロが寄り添いあって寝息を立てていた。 シーツの中の二人分の体温で温もった空気が、覗き込む雪男の頬を撫でる。 あったかくて、日向のいい匂いがした。 ちょっとだけ口が開いたままの燐の寝顔は、まるっきりの無防備で子供染みている。 あまりに平和な表情を眺めていたら、さっきまでの嫌な感じに縺れた気持ちがするすると解けていくような気がした。 いったい自分は、何をそんなに不貞腐れていたんだろうと不思議になる。 休日の午後、のんびりとお昼寝。 気持ち良さそうな燐の顔を見たら、そんな時間の使い方も無駄だとは思わなかった。 むしろ忙しくあれこれ予定を作って、毎日充実している気になっている自分の方がひどく滑稽に思えて雪男は苦く笑う。 「‥‥僕も寝よ」 寝ている燐を起こさないようにシーツを一枚だけ拝借して、傍らの床に腰を下ろす。同じベッドの隅っこに頭だけを乗せる。 この位置からは寝顔は見えないけれど、寝乱れた黒い髪とつむじがすぐ目の前にあって、その近い距離に満足して雪男は目蓋を閉じた。 おひさまのひかりと、燐の体温をうつした洗い立てのシーツが冷えた肌に心地良い。 これに包まって、時間を無駄遣いするなんて―――実はとても贅沢なことじゃないだろうか? 閉じた目蓋の裏側はオレンジの闇、すぐ側では安らかな寝息。 平和な暖かさに包まれる贅沢を楽しみながら、雪男は睡魔に身を委ねた。 |