「なんだよ、昼メシいらねぇんなら先に言っとけよ、このメガネ!」 「だから、もう三日も前に言ってあっただろ!今日は任務が入ってるから、授業は午前中で早退するって」 「早退ってのは聞いたけど、弁当いらねぇとは聞いてねぇ!」 「普通『午前中で帰る』って言ったら、それくらい分かるだろ!?ほんっと兄さんは察しが悪いな!」 「あんだと、コラ!!」 午前中の授業終了のチャイムが鳴ってランチタイムに入った教室は、クラスメートたちのお喋りで一気に賑やかになった。 今日は何食べる?だとか、どこでお昼しようか?なんて。平和なやりとりが交わされる中で燐が張り上げた声はあまりにもそぐわなくて、驚いたクラスメートたちの視線が一斉にこっちへ向けられる。 ケンカが始まるんじゃないかと言うよりは、雪男が一方的に殴られるんじゃないかと心配しているのが丸分かりな周囲の目に溜息を吐いて、そうして目の前で弁当の包み片手に頭から火を噴く勢いで怒っている兄に 軽い頭痛を覚えて、雪男は右手でメガネを軽く押し上げた。 「とにかく、今日は弁当はいらないから。ぐずぐずしてると任務に遅れちゃうから、手離してよ」 眉間を指で揉むと、少しだけ痛みが紛れる気がする。 擦ったせいですこし霞む目で燐を見下ろして、これ以上の口論は御免だとピシャリと言ったら、燐は掴んでいた雪男の腕を突き離して、これ以上もないほど憎たらしい顔で歯を剥いた。 「なにが『察しが悪いな』だよ、あのメガネ!お前なんか砂でも噛んでろってんだ」 本当ならば学食で広げるはずだったお弁当の包みを両手に下げて、中庭をぶらぶらと歩きながら眉間にシワを寄せる。 別に一人で食事をするのは構わないのだけれど、さっき派手に雪男に噛みついたのを皆に見られていたせいで、学食にも教室にも居辛くなってしまった。 面と向かって喧嘩を売られたならば、それは正々堂々とお買い上げするのだけれど、どうも育ちの宜しいお嬢さんお坊ちゃん方はそんな真っ向勝負はお好みではないようで、真正面から感情をぶつけてくる代わりに これ見よがしなヒソヒソ話や好奇の目線を向けてくる。 もう小さな子供の頃みたいに陰口に傷ついたり、怒って暴れるようなことはしないけど、トラウマというか何というか―――とにかく気分の良いものではないから、燐は弁当を抱えて外へ出た。 寒かったら嫌だなと思っていたけれど、幸い外は小春日和で、よく手入れがされている花壇には色とりどりの春の花が揺れている。 お日様の日差しをいっぱいに受けた若い芝はつやつやと柔らかな緑で、寝転んだら気持ちが良さそうだ。 これまでは昼休みというとすぐに学食に直行していたせいで、ちっとも気付かなかったけれど。こんな気持ちの良い場所があるのなら、たまには外でお弁当も悪くないかもしれない。 キョロキョロとあたりを見回して、自分の他に中庭には誰もいないのを確かめて、燐は爪先を庭の片隅にある花水木の方へと向けた。 白くてかわいい花をつけた木の下に据えられた木のベンチに腰掛ける。 ちょうどいい塩梅に暖められたベンチが心地良くて、ほっと脱力して背中を丸めたら、まるで燐が気を抜くのを狙っていたようなタイミングで、ズボンのポケットに突っ込んであった携帯が小刻みに震えだした。 授業中だからとマナーモードにしたまますっかり忘れていたから、不意打ちで着信があったりすると本気で吃驚する。 憎たらしい台詞ばかり並べて行った雪男が、ちょっとは反省して謝罪のメールでも送ってきたかなと。緩慢な動きでポケットに手を伸ばし、携帯を引っ張りだした燐はディスプレイに表示された名前に目を丸くした。 ―――勝呂竜士 前に桜の写真を送ったっきり、その後はメールも電話もすることがなかった祓魔塾のクラスメートからの突然の着信に、慌てて燐は通話ボタンを押す。 何か緊急の連絡かもしれないと思う反面、何故かわくわくと心が躍った。 ピ、と短い電子音のあとディスプレイに「通話中」の文字が現れて、数字がカウントされ始める。 「も、しもし?」 『―――お前、そんなとこで何しとんのや?』 「へっ?」 勝呂の第一声は「もしもし」でも挨拶でもなく、いきなり疑問をぶつけられて戸惑った燐は間抜けな声を出した。 ただ、彼の言い回しから直感的に、どこからか見られていることだけは理解して、丸めていた背中をシャンと伸ばしたら、それもまた見ていたのだろう。 受話口の向こうから、くつくつと勝呂の押し殺した笑い声が聞こえてくる。 こっちからは勝呂がどこにいるかも分からないのに、むこうからは自分の一挙一動が見られているなんて不公平な話だ。 彼がどこから電話をかけてきているのか知りたくてベンチから立ち上がり、きょろきょろと人気のない中庭を見回す。すると斜め上から窓の開く音がして、同時に受話口から「上や」と笑い混じりの声が届いた。 仲良く手を振り合うような間柄ではないから、携帯を耳に当てたまま体だけ向き直って勝呂を見上げる。 勝呂も三階の窓枠に肘を付いて、携帯を片手に燐を見下ろしている。 「何って、昼飯だよ。なんつうか…‥せっかく天気良いからさ、たまには外で食おうかなって」 『兄弟仲良う、二人でおべんとか?』 「メガネは関係ねーよ!」 『なんや、センセと喧嘩でもしたんか』 「そういうんじゃねぇっつうの!」 ベンチの上に弁当の包みが二つ並んでいるのを見て、からかう口調になった勝呂にムキになって言い返してみたものの、人気のない中庭でひとりでお弁当を広げている様はどう見ても「喧嘩しました」の図だ。 それでもせめて、悪いのは自分ではなく雪男の方なんだと分かってほしくて、こんなところで一人でお弁当する羽目になった経緯を若干の脚色を加えつつ話す燐に、勝呂は呆れたような溜息を吐いた。 『自分らは双子やのに、そういう意思の疎通は無いんやな』 「双子にはテレパシーがあるっての、アレ絶対嘘だぜ。あの嫌味メガネの考えなんて、俺ぜんぜん理解できねーもん」 『…‥それはセンセも、同じこと考えてはるやろな』 「あれ?っつーことは、やっぱ気が合ってんのか?」 『俺に聞くなや』 「っつうかさー。どーすんだよ、この弁当!急にいらねぇとか言われても、困るんだよな」 捨ててしまうのは勿体ないけど、この気温では夜まで置いておいたら傷んでしまう。 頑張れば二人分くらい食べられないこともないけれど、あまりお腹いっぱいにし過ぎてしまうと、ただでさえ眠くなる午後の授業で睡魔に打ち勝つ自信がなかった。 祓魔塾での宿題だけでも大変なのに、そのうえ居眠りを見咎められて高等部でまで課題を課せられては、たまったもんじゃない。 参っちまうよなぁと髪を掻き回しながら上階を見上げ、そういえばお昼時だというのに珍しく彼が一人でいることに今更ながらに気が付いた燐は、ダメもとで勝呂の名前を呼んだ。 「なー、勝呂。良かったらコレ、食わねえ?」 まっしろな花水木の花びらと、うすい緑の葉を通して肌に落ちるお日様のひかりが、柔らかくて心地良い。 誰もいない中庭のベンチで二人、微妙なスペースを開けて並んで座りながら、燐と勝呂はそれぞれの膝にのせたお弁当箱の蓋を開ける。 「おお、すげえ」 手作りだと聞いていたから、正直何の期待もしないでいたのだけれど。 うすっぺらいアルミ製の蓋を開けた途端、目に飛び込んできた美味しそうなお弁当に、素直にそんな声が出た。 燐が作ってきたお弁当、本日のお品書きは家庭的な六品。 挽き肉とさといもの煮物 ほうれんそうののり巻き にんじんグラッセ れんこんとベーコンのカレー炒め たまごやき こんにゃくおかかあえ よくぞこれだけのボリュームをこの小さな面積に、きれいな彩りで詰め込めるものだと感心してしまう。 さっそく一番に目を引いた赤色、にんじんのグラッセを口に放り込んだら、濃厚なバターの風味とにんじんの甘さが舌の上で溶けて、思わず勝呂は体ごと燐に向き直った。 「美味い!」 「まじか!?」 「めっちゃ美味い、すごいな。これ全部作ったんか」 すごいヤツだと一目置いている勝呂から「すごい」と言われたことが嬉しくて、玉子焼きを頬張りながら燐は得意げに胸を張る。 最初の警戒心は蓋を開けた途端にどこかへ飛んでいったようで、その後はもう黙々と食べることに専念している勝呂の隣で、燐はのんびりと自分の弁当を頬張りながらチラリと彼の顔を見上げた。 言葉少ななのは雪男と食事をしているときと変わらないのに、この気分の良さは何だろう。 普段はしない、外でのお弁当をしているからだろうか。久々に手放しで褒められて、気分が浮ついているからだろうか。 それとも、 (勝呂が一緒っつーのが、いつもと違ってて楽しいのかもな) 「なんや、人の顔じっと見て」 「メシついてんぞ、ここんとこ」 「‥‥おう」 鏡映しに、ちょいちょいと顎のあたりを指差して見せたら、自分を真似て勝呂も顎先を指で探る。 そのちょっと間の抜けた表情が面白くて、遠慮なしにじっと眺めていたら、さすがにそれは嫌だったのかふいっとそっぽを向かれてしまった。 まだまだ友達だと言うには、微妙な関係なのかもしれない。 そもそもに今まで友達だなんて呼べる相手が居なかったから、親しさの距離感なんてよく分からないのだけれども。 「なぁ、俺また弁当作ってくるからさ、今度は志摩や子猫丸も誘って、また外でメシ食わねぇ?」 もっと仲良くなりたいから、未知の距離感に自分から一歩、思いきって踏み込んでみた。 嫌だと言われたら、さすがにちょっと凹むかもなんてマイナスな可能性には気付かないフリで、勝呂の横顔をそーっと窺う。 一瞬だけ、引き結ばれた唇に躊躇が見えて。ああ、まだ早かったのかもと諦めかけたりもしたのだけれど、燐の予想を嬉しい方へと裏切って、勝呂はゆるやかに眉間の皺を解いた。 「そうやな、それもええな。確かにたまには表でメシ食うと、気分ええわ」 「ピクニックみてーで面白いよな」 「ピクニック言うのやめぇ、小学生やあるまいし」 そんなにおかしな事を言ったつもりはなかったのに、妙にツボに入ったらしい。本当に珍しく、勝呂が声を立てて笑った。 たったそれだけの事が何だかとても嬉しくて、背中の真ん中がそわそわとくすぐったくて、燐も満面の笑顔になる。 最初は「いらない」と突っ返されて持て余していた弁当が、まさかこんな楽しい時間を過ごすきっかけになってくれるなんて思いもしなかった。 (…‥あとで、雪男には謝っとくかな) さっきまでは絶対に謝るもんかと思っていたけれど、こうやって冷静になってみれば、ちょっとは自分も悪かったかなという気にもなってくる。 文句の応酬で引っ込みつかなくなって、つい辛辣な言葉ばかり選んでしまったけれど、本当はそこまで怒っていたわけじゃなくて、ただ一言「ごめん」と言って欲しかっただけ。 そしてきっと雪男も、話をちゃんと聞いていなかったことを、ちょっと謝ってほしかっただけだと思うから――― 「なあ勝呂、もし次に外でみんなで弁当食う時は、雪男も誘ってもいいか?」 ちゃんと謝って、仲直りして。 今度は自分だけじゃなくて、雪男も。 ゆっくりと広がりはじめた仲間の輪に入れて欲しい、みんなと気楽に笑い合えるようになればいいと思う。 最初に誘ってきたときよりも少し真面目な声音でお伺いをたててきた燐に、勝呂は笑いを引っ込めて。 けれどさっきよりは随分と険のない顔で、すぐにこくりと頷いてくれた。 「ああ、ええよ」 |