乙女心と秋の空なんて。 そんな言葉があるくらい秋のお天気は変わりやすいというのは、良く知られた話だけど。 「コロコロ天気変わんのは、春だって同じじゃねぇか」 塾に来た時には、これからまた教室に閉じこもって勉強なんて勿体ないと思うくらいの青空だったのに、授業が終わって帰る頃にはすっかり空は鉛色。 雨足は遠くの景色がけぶって見えるほど強く、軒下から差し出してみた手の平はあっという間にびしょ濡れになった。 少しくらいの雨なら走って帰ればいいやと思っていたけれど、これだけしっかり降っていると鞄や上着を傘にしても、ちょっと防ぎきれないだろう。 あーあと溜息を吐いて燐は、隣に並ぶしえみを見る。 勉強道具を包んだかわいい風呂敷を胸にしっかと抱いた彼女は、燐と同じ途方にくれた表情で、どんより暗い空を見上げていた。 「雨、すっげーなぁ」 「待ってたら止むと思う?」 「いや、無理じゃねえ?」 「だよねぇ」 ちくしょー、俺が傘持ってきてりゃなぁ・・・ 家まで送るよ、なんて。 相合傘で二人一緒に下校とか、自然にいつもより近い距離にくっつけて、なおかつ自分の株も上がったかもしれないのに。 せっかくのチャンスをまったく活かせない自分にガッカリで、またひとつ溜息がでた。 冬の頃に比べればずいぶん日は長くなったけれど、こんなに天気が悪い日は、夜はあっという間にやってくる。 最悪自分は良いとしても、しえみを暗くて雨の降る道を帰らせるわけにはいかなくて、燐は渋々胸のポケットから携帯電話を引っ張りだした。 雪男なら傘を持ってきているはずだから、頼めば彼女を家まで送り届けてくれるだろう。 また雪男の好感度ばかり上がってしまうのは、ものすごく気に入らないが仕方がない。 今朝「傘を持っていきなよ」と忠告してくれた弟に、「雨なんか降らねーよ」と舌を出した自業自得のおバカさんは自分なのだから。 「あれぇ?二人ともそんなとこで突っ立って、どないしたん?」 着信履歴から雪男の番号を選び出し、発信ボタンを押そうとしていた手を止めて、燐は近づいてくる足音の方へと振り返る。 コツコツと足音以外に何の音だろうと思ったら、後ろから追いついてきた志摩が、持っていた傘の先で床を突く音だった。 先に教室を出て行ったはずの燐としえみが、まだエントランスに残っていたことに少しびっくりした様子で声をかけてきた彼は、外のどしゃ降りと困った顔をしている二人を見比べてすぐに事態を把握したようで、 燐が返事をするより先に「ああ、なるほど」と頷いてへらりと笑う。 「テレビで、今日は午後から雨降りますよって言うてたのに。うっかりさんやなぁ」 「しょ、しょーがねーだろ!まさかこんなに降ると思わなかったんだから」 「杜山さんも傘忘れはったん?」 「うん、それで困っちゃってて、燐と雨宿りしてたんだけど…‥」 「いや、待ってても止まへんやろ。これ」 子猫丸の問いかけに、眉を下げてしえみが笑う。 一番最後に追いついてきた勝呂は、さっき燐がしたように手の平で雨粒を受けて、分厚い雲が立ちこめる空を見上げた。 こうやって話しをしている間にも、雨は弱まるどころかひどくなる一方だ。 天気が悪いせいで少し寒くなってきたのだろう、話をしながらしえみが無意識に腕をさすっているのに気が付いて、志摩がぽんと手を打った。 「ほんなら、俺。杜山さん、家まで送ってくわ」 「えっ、いいの?でも、私の家ちょっと遠いよ?」 「ええよええよ、その分いっぱいお喋りできるやんか〜。ほんで、奥村くんは坊か子猫さんの傘に入れてもろたらええやろ?」 「おい、志摩。何勝手に決めとんのや」 「えー?だって俺の相合傘は、女の子専用て法律で決まってますもん」 「何だその法律」と、あえて誰も突っ込まないのは絡むだけバカバカしいからか、それとも言うだけ無駄だと思っているからなのか。 どちらにしても沈黙は同意ではないし、志摩にとって良い評価でもないのだけれど。当の本人はまったくもって気にしていない様子でウキウキと傘を開き、しえみに向かって手招きしている。 呼ばれた彼女は戸惑った様子でこちらを振り向いたが、「行けよ」と燐が頷くと、すこし頬を赤くして小走りに志摩の隣へ並んだ。 「志摩、寄り道すんなよ!しえみ、ちゃんと送ってけよ!」 「わかってますって、もう〜。どんだけ信用ないの、俺」 「日頃の行いのせいやと思いますよ」 透明なビニール傘越しにぼんやりと透けて、志摩としえみが肩を寄せ合うのが見えて羨ましくなる。 「‥‥ほな、俺らも帰るか」 本当なら、アレは俺のポジションだったはずなのになぁと未練タラタラで見送る燐に、できれば自分だって送って行くなら女の子の方が良かったとでも言いたげな表情で、勝呂が傘を差しかける。 体格的には子猫丸と一緒の傘の方が良かったのだろうけれど、生憎と彼の傘は折り畳みの小さなサイズで、どう頑張っても燐が隣に入るだけの余裕はなかった。 勝呂たちが住んでいる新館の男子寮と、燐が帰る旧館の寮は途中までは同じ帰り道だ。 三人で歩いている間はアレコレと喋ることもあったのだけれど、子猫丸が一足先に新館への道へ折れてしまってからは、なんとなく会話が途切れてしまっている。 パタパタと傘を叩く強い雨音を聞きながら、燐はビニール傘越しの空を見上げて、それからチラリと隣で傘を差してくれている勝呂の顔を盗み見た。 外見はどこからどう見ても不良な優等生は、いつもより不機嫌さ二割増の表情でむっつりと押し黙り、自分のペースで歩いている。 そのくせ傘を持った右の手は、勝呂本人よりも燐の方へ近く傾いているのだから、優しいのかそうじゃないのか分かり難いことこの上なかった。 どうせ傘に入れてくれるなら、もうちょっとフレンドリーな雰囲気にして欲しいよなと思う。 これならまだ、お前は走って帰れと言われた方がずっと気が楽だ。 「何や?」 「いや、お前こっちに傘差し過ぎだろ。肩とか濡れてんじゃん」 相合傘で二人っきりの帰り道、やっと喋ってくれた勝呂に少しほっとしながら、とりあえず一番気になっていたことを口にして、燐は傘を持つ手をぐいっと彼の方へと押し戻す。 燐としては気を使ったつもりだったのだけれど、何故かそれが勝呂は気に入らなかったようで、ムッとした気配の後すぐに押し戻した分より更に余計に、傘を持つ手が燐のほうへと傾けられた。 傾いた傘から流れて落ちた水滴が燐の肩先を掠めて、手の甲を濡らす。 「おい!」 「風向きそっちやから傾けとんのや、余計なことすんな」 「そんなに風吹いてねーだろが、いいからちゃんと傘に入れ!」 春の雨、それも日が翳ってからの雨は冷たい。 自分のせいで勝呂に風邪を引かせるわけにはいかなくて、もう一度。燐も負けじと強く押し返した。 右へふらふら、左へよろよろ。 ふたりの間で押しあいへし合いされた傘から、ぱらぱらと雨粒が零れるたび盛大にお互いの制服の肩が濡れて、ただ雨に降られているよりもひどい状態になる。 お互いに一歩も譲らず至近距離でにらみ合っている様は、二人の間に傘が挟まっていなければ、どこからどう見ても不良の喧嘩だ。 しばらく二人はそうやって意地を張り合っていたが、いい加減バカバカしくなったのか、先に視線を外したのは勝呂の方だった。 はーっと、これ見よがしな溜息を吐いてみせた勝呂は、まだ肩を怒らせている燐を見下ろして口をへの字にひん曲げる。 「お前が風邪でもひいて、授業に出てこれんようなったらかなわんから言うてるんや」 「そんなの、俺だって同じだ」 「ぁあ?」 「俺だってお前に風邪引かせたら悪いとか、迷惑かけてるなーとは思ってんだよ。だから一応、エンリョして傘入ってんだろ」 お互いに、ただ相手のことを心配しているだけなのに、 どうしてすぐに喧嘩になってしまうんだろうとチラリと思う。 拗ねた口調と表情で、それでもやっと素直に思っていたことを言葉にして並べて。こっちの気持ちなんて欠片も察してくれないクラスメートの肩を軽く拳で突いたら、 お返しにちっとも痛くないチョップが頭の上へ落ちてきた。 「普段図々しいくせに、いらんとこで遠慮なんかするから、ややこしくなるんや。阿呆」 「だってお前、すげー怖い顔してたじゃん」 「俺はもともとこういう顔や!」 「いでででで、ハゲる!ハゲるって!!」 頭に乗っかったままの手で、そのままぐりぐりと揺さぶられる。彼に借りたままのダッカールが地肌に押し付けられて、地味に痛い。 それでも一応、勝呂は勝呂なりに自分の事を気遣ってくれていたのが嬉しくて、されるがままになりながら声を立てて笑ったら、何故だかとても複雑な表情で勝呂は燐から目を逸らした。 「…‥お前と居ると、調子狂うわ」 「あ?何だって?」 「何も、―――もっとこっち寄れ言うてるんや。帰るで、」 髪から、勝呂の手が離れて行く。 どうしてか一瞬、それがひどくつまらなく思えて。燐は前へ向き直った勝呂の肩へ、わざとぶつかるように身を寄せた。 もっとこっちに来いとは言ったけれど、まさかそんなことをされるとは思っていなかった勝呂は燐の不意打ちに軽く躓いて、また怖い顔で舌を打つ。 「すぐろー」 「何や!」 「ありがとな」 「…‥…おう」 黙って気を使い合っていたさっきより、ちょっとだけ喧嘩をした後。今の方が居心地がいいなんて、なんだか変な話だ。 相変わらず勝呂は仏頂面で、一度途切れてしまえば、会話はちっとも弾まない。 それでも今度は沈黙が気詰まりでもなく、険悪なムードになることもなく。二人は狭い傘の下、肩を寄せ合って、同じリズムで寮への道を歩き出した。 |