祓魔塾の校舎の裏、西側にある小さな庭には白爪草が咲いている。
小さな白い花は可愛らしいとは思うけれど、わざわざ足を止めて眺めるほどに華やかでも目を惹くわけでもなくて、いつもは特に気に掛けることもなく足早に通り過ぎてしまうのだけれど。

「あれぇ、奥村くんと杜山さんやないですか?」
「ほんまや、何してはるんやろ」

お喋りをしながら、すこし前を並んで歩いていた子猫丸と志摩が揃って立ち止まったものだから、通せんぼされる格好で勝呂も仕方なく足を止める。
二人に倣って、石畳添いの植え込みの向こう。校舎横の庭へと視線を向けた勝呂は、なんとも奇妙な光景に思わず首を捻った。
普段は人が入ることもない、ベンチも何もない庭の片隅。白爪草とクローバーの絨毯の真ん中でしえみと燐が向かいあって、何やら一生懸命に花の冠を編んでいる。
花が大好きなしえみが花冠を編んでいるだけならば別に何も不思議ではないし、むしろ絵になる光景だと思うのだけれど。そこに燐が一人加わるだけでこんなにも妙な光景になるのかと、思わず笑ってしまいそうになった 勝呂は誤魔化すように咳払いをした。
不自然な咳払いが耳に届いたのか、それとも三人の視線に気づいたのか。
それまで一心不乱に花を編んでいた燐が顔を上げ、しえみがにこにこしながら手を振ってくる。

「志摩くんたち、いま帰り?」
「ええ‥‥っていうか杜山さんたち、こんなとこで何してはるの?」

休日前の今日は塾の授業がいつもより一限短くて、しえみと燐は授業が終わるなり連れ立っていそいそと教室を出て行ったから、てっきり二人でどこかへ出掛けたんだとばかり思っていた。
二人でデートやなかったの?と冗談めかして尋ねる志摩に、しえみはポッと頬を染め、燐はそれ以上に顔を赤くして「違う違う」と首を振る。

「あのね、燐が花冠作るの手伝ってるの。よかったら、あの、みんなも一緒に作らない?」

台詞の後半。お誘いの言葉は、彼女が勇気を振り絞ったと分かるほど緊張で微かに上擦っていて、 どうやら側に行ってもお邪魔虫にはならなさそうな雰囲気の二人に、志摩と子猫丸は目配せし合い、それからすぐ後ろで突っ立っていた勝呂を振りかえった。
無言のうちに選択権を丸投げされた勝呂は幼馴染たちを見下ろし、眉間にしわを寄せる。
この年になって、しかも男が放課後に仲良く集まって花冠作りなんて。自分たちの面子で想像しただけでも、薄気味悪くて引いてしまう。
けれどそのお誘いをかけてきたのは、しえみだ。
人見知りで恥ずかしがり屋の彼女が、いまどれだけの思い切りで自分たちに声を掛けたのかを思うと、正直「嫌だ」と思っていても―――

「‥‥まぁ、今日は俺らも暇やし‥‥ええよ」

無碍に断れるはずもなかった。
もともと誤魔化したり嘘をついたりするのが苦手だから、返事は微妙な棒読みになってしまったけれど、有難いことにしえみはちっとも気付かない。
まるで花が綻ぶように満面の笑顔になった彼女を見ていたら、これはこれで良いことをしたような気分になってくる。
下手くそな演技をくすくす笑う志摩を追い抜きざまに、尻に膝蹴りをお見舞いして。子猫丸の頭をヘッドロックよろしく小脇に抱えて、勝呂はしえみと燐のいる白爪草の花畑へと歩き出した。



しえみに誘われて「いいよ」なんて返事をしたものの、そもそもに勝呂たちが花冠の編み方なんて知っているはずがなくて。
結局男三人が額を突き合わせて、しえみが花を編む手元を覗きこみながら、ひとつひとつ丁寧に教えてもらいながら冠を編むという、最初に思い浮かべたよりもずっと寒い状況になりながら勝呂は必死に手を動かした。
一足先に手解きを受けたらしい燐は、しえみほどではないけれど器用な手付きで花を編んでいる。
なるほど本人の言う通り実戦派、頭を使うのではなく体で覚えることは得意なんだろう。
すこしばかり感心しながら見ていたら、視線に気づいた燐が顔を上げて「なんだよ」と口を尖らせる。

「いや、なんでお前が花冠なんか作ってるんや思うてな」
「ああ、それ俺も聞きたかってん。確実にこんな乙女なコトするキャラやないやん、奥村くん」

ずっと引っかかっていた素朴な疑問をぶつけたら、同じく気になっていたらしい志摩がすぐに便乗してくる。
乙女という単語に心底嫌そうに顔をしかめた燐は躊躇う様子で唇を引き結んだが、興味津々に顔を覗きこんでくる志摩に観念したのか、視線を手元に逃がしてこくりと頷いた。

「明日さ、父の日だろ?」
「ああ、そういえばそうでしたねぇ」

すっかり忘れていた記念日が燐の口から出てきて、子猫丸がぽんと手を叩く。
母の日ならばテレビのCMで「ありがとうを伝えよう」なんて何度も何度も流れるし、花屋にカーネーションがいっぱいに並んだりするから、まず忘れるなんてことはないのだけれど。
それに比べて父の日はどうもイベント的に盛り上がりに欠けるというか、存在感自体がどうにも希薄だ。
そういう行事に無頓着そうな燐から、父の日という言葉が出てきたことが意外で少し驚いた。

「ジジイ‥‥親父の好きなモンっていうと酒と煙草だったんだけど、未成年じゃ買えねーじゃん?花束買おうと思ったら、けっこう花って高いしさ」


だからせめて、身近にある花で。
ただ花束にするんじゃつまらないから、ひと手間かけて。一応の感謝を込めて、冠を編もうと思ったんだ。


みんなの感心と驚きの入り混じった視線を一身に集めて、居心地悪そうに身じろぎした燐はまるで言い訳でもするような口調でそう言って、手近に咲いていた花を手折る。
花冠とは言ったけれど、彼の手の中にあるそれはもう冠よりもずっと長く、首飾りにできそうなほどだ。
ふぅん、と。燐の言葉に何か引っかかるものを感じながらも、それ以上の詮索は止めて勝呂は曖昧に頷いた。
父親に反発して実家を飛び出してきた身としては、燐の話を聞いても父親のために何かしようという気にはならなかったけれど、燐のその気持ちには素直に好感が持てる。

「奥村くんて、優しい子やねぇ」
「お父さん、きっと喜ばはると思いますよ」
「そっ、そんなんじゃねーよ!なんつうか、アレだ。義理だ、義理」

志摩と子猫丸にかわるがわる褒められて、それが照れ臭かったのだろう。二人の声を掻き消すように、わざと大きな声を出した。
そのままいつもの調子でわいわい騒ぎ始めたクラスメートたちの賑やかしい会話を聞きながら、次に編み込む花を取ろうと手を伸ばした勝呂は、偶然下ろした指の先に四ツ葉のクローバーがあるのに気付いて、 ふっと思いついたささやかな悪戯に唇の端を笑みの形に吊り上げた。








雨の中の葬式以来、一度も足を運ぶことのなかった養父の墓の前に立つ。
雪男を誘わずに自分一人で来たのは、ひょっとしたらうっかり泣いてしまうかもしれないと思ったからだけど、いざ養父の墓に向かいあってみると意外にも心は穏やかに凪いでいた。
父の日は明日だから、まだ弟がここへ来た様子はなく。きちんときれいに手入れが行き届いているものの墓前には花も何もない。

「よお、ジジイ―――会いにきたぜ」

話しかけても、返事が返らないことは分かり切っていたけれど、どうしても声に出して語りかけずには居られなかった。
一月先に夏を控えた六月、貴重な梅雨の晴れ間。
きっと昼間、もしくは明日にはここを訪れる人がいるのかもしれないけれど、太陽が西に大きく傾いたこの時刻。ここにいるのは燐一人だけだ。
ずいぶん久々に見る、燃えるような緋色の夕日が眩しくて目を伏せた燐は、さっき編み上げたばかりの白爪草の花冠に視線を落とした。
自分とクラスメートたちとで編んだ冠は、きれいに目が詰まって編めている部分と不慣れな感じに緩い部分が混在していて、ちょっといびつな形になっていたけれど、その代わりに花の輪を三重にもかさねた 大きく見栄えのいい花冠に出来上がっている。
ひとつに繋ぎ合わせてしまうと、さすがに誰がどこを編んでいたのかは分からなくなってしまったが、燐は完成した花冠を傷めてしまわないようにそろりと指の先で撫で、手伝ってくれたみんなの顔を思い浮かべながら 「さんきゅー」と口の中で呟いた。

「父の日には一日早いんだけどさ、コレ、やるよ」

夕日色に染められた十字架に一歩近づいて、花冠を掛ける。
なるべく目に映った時のバランスが良いようにと位置を手直しようとしたら、白爪草の中に紛れるように四つ葉のクローバーが編み込まれている部分があるのに気が付いて、燐は思わず手を止めた。
見つけるのだってそう簡単ではない。だからこその「幸運のクローバー」だというのに、それは一つだけじゃなくて何本も冠に編まれている。
ささやかな。けれど嬉しいサプライズに燐は目を丸くし、それから満面の笑顔になった。

こんな幸せな悪戯を仕掛けてくれたのは、一体誰だっただろうかと思案する。
養父と同じく、クローバーをお守りにしていたしえみだろうか。
優しい気遣いをしてくれる子猫丸だろうか。
案外と志摩はこういう気の効いたことを企むのが上手そうな気もするし、ひょっとしたら勝呂が―――

「‥‥いや、それはねーかな」


和やかな輪の中で、ひとり黙々と手を動かしていた彼の仏頂面を思い出して、最後の可能性だけは取り消した。
眉間にしわを寄せて、そのくせ「嫌だ」とは言わないで。大きな背中を丸めて花を摘み、大真面目に冠を編んでいた勝呂の姿を思い出して燐は微笑む。


「なぁ‥‥アンタが居ないのに、こういうこと言うのは何か気が引けるっつうか、バチが当たっちまいそうな気がすんだけど―――――俺、いま、幸せなんだ」

十字架に掛けた花冠が風に揺れて、白爪草の甘い香りがふうわりと空気に溶ける。
墓前でのお祈りの仕方は、ずいぶん小さな頃から教えてもらっていたから、ちゃんと知っていたけれど。
そんな作法をなぞるよりは、これまでずっとしてきたように普通に話した方が天国に居るだろう養父に届く気がして、燐はいつも通りズボンのポケットに指を引っかけ、崩した姿勢のまま語りかける。

「勉強は好きじゃねーけど、雪男と同じ学校に通ってさ。友達もできたんだぜ?ちょっと前の俺じゃ、想像もつかねぇだろうけど‥‥毎日充実してるっつーか、すげー楽しい」

ついこの間までは、こんな学園生活なんて空想の産物でしかなくて。
いつも「早くまともにならなければ」という焦りと、うまくいかない苛立ち、自分を受け入れてくれない世間への疎外感を抱える毎日。
あの修道院の中だけが唯一安心できる場所で、そんな自分を解ってくれるのは獅郎と雪男だけという、狭い世界で生きていた。
だから、いま。
他愛もないことで笑い合ったり、喧嘩をしたり。
目まぐるしく過ぎて行く日々を同じ目線で、一緒に過ごせる友達に囲まれていることがまるで夢みたいで、嬉しくて仕方がない。

「‥‥いま、俺がこうして笑ってられるのも全部、アンタのおかげなんだよな」


そうして、今を楽しいと思えば思うほど。
養父の不在を
命を賭して守られたという事実を、痛いくらいに実感した。


これまで生きてきた中で一番充実しているこの時に、彼が生きていてくれたらなんて。そんな優しい空想を思い描いて不覚にも涙が出そうになった燐は、慌ててブンブンと首を振る。
ここで泣いたら、養父に笑われる気がした。
自分をからかう時の、あの小憎たらしい笑みを思い出して燐は嗚咽になりかけた息をぐっと飲み込み、背筋を伸ばす。



「ありがとう―――父さん」



どんな言葉を並べても追いつかないほどの感謝を込めて、心を込めて呼びかけた。
素直な気持ちを声にして深々と頭を下げた燐に応えるように、さやさやと風が流れて。また、あの甘い花の香が燐の鼻先をくすぐっていく。
その香りに誘われるように顔を上げた燐はいつもの調子でからりと笑うと、夕日色に沈む景色の中でひときわ鮮やかに見える花冠を眺めて、眩しさに目を細めた。







白い花を、革の靴を、愛の歌を

大好きなお父さんへ