着信メロディーなんて機能が存在していることを忘れてしまうくらい、いつも。回りの迷惑にならないように気を使って、マナーモードに設定しっぱなしにしている携帯電話。
音を消したままにしておくと、大事な用件でかかってきた電話やメールをうっかり取り損ねてしまうんじゃないかと、よくみんなには心配されるのだけれども、ちゃんと一定の時間おきに着信をチェックする几帳面な性格と、 何よりも意外と強く振動するバイブレーション機能のおかげで、携帯を持つようになって今のところ勝呂が大事な連絡を取り逃したことは一度もない。

今夜も、時計代わりに勉強机の隅っこに携帯電話を置いて。
ひとり黙々と残りの夏休みの課題を片付けにかかっていた勝呂は、ふいにチカチカとライトを点滅させながら震え始めた携帯に、書きものをしていた手を止めた。
自分でも気付かないくらいに長いこと勉強に集中していたのか、シャープペンシルを握っていた手の中指が少し赤くなっている。
夢中になるとつい、要らない力が入って筆圧が高くなってしまうのは、子供の頃からの癖だった。
指を開けば、みしみしと音を立てそうなくらい強張ってしまっていた手と腕を解すように一度、ぶん!と強く振って、勝呂はまだ点滅と振動を続けている携帯に手を伸ばす。

チラリと横目に確かめた時計には、デジタル特有の四角ばった文字で『am0:05』と表示されていて、ここでようやく日付が変わっていたことを知る。
こんな真夜中に、メールでなく着信だなんて。
一体誰が、何の用事だろうかと訝りながら携帯のディスプレイに目を落とした勝呂は、相手の番号と一緒に表示された名前にどきりとして息を潜めた。


奥村 燐


京都遠征から帰還して一週間。
まだ事後整理やら現場の引き継ぎをしなければいけない他の祓魔師たちと違い、あくまで見習いでしかない候補生の勝呂たちは事件の収束後、僅かな休養を取ったあと一足先に正十字学園へと帰ることになったのだけれども。
悪魔の落胤であり処分対象とされていた燐だけは、今回の件での働きを考慮に入れた上での処遇を如何にするか、ヴァチカンからの審議待ちで未だ京都出張所に軟禁されている。
勝呂たちが東京へと帰る間際、シュラの監視付きで見送りを許可された燐は笑顔で「また、学校でな」なんて手を振っていたけれど、その後彼からはメールの一つも送られて来ず、学園町に帰ってくるという話も全く聞かなかった。

だからこんな真夜中に、こんな唐突に彼からの電話をもらうと―――――何よりもまず先に、不安が胸を締めつける。

もしも悪い知らせだったら、とか。
もしも、これが最後の会話になったら、とか。
らしくもないネガティブな思いに囚われそうになりながら、慌てて通話ボタンを押すと勝呂は携帯を耳に押し当てた。


「もしもし」
『もしもし、良かった。まだ起きてた・・・あれ、それとも起こしたか?』
「いや、起きとった」
『あ、ひょっとして勉強か?相変わらず真面目だなー、勝呂』

あはは、と音量は控えめに。
だけど、いつもの通りに明るい調子の笑い声が電波に乗って勝呂の耳に届く。
とりあえずなにか今すぐ命にかかわるような、緊迫した事態ではなさそうだと。のんびりした燐の声の調子から察しがついて、ほっと肩の力を抜いた勝呂は椅子の背もたれに背中を預けて、細く長い息を吐いた。
そんなこちらの心配や不安なんて知る由もない燐は気楽な調子で「俺、夏休みの宿題全然やってねえ」なんて、今の彼が置かれた状況に比べたら本当にどうでもいい心配をしている。
きっとこれまでの勝呂なら、勉強を邪魔されたうえにこんなどうでも良い話をされたら、確実に怒って電話を切っているところだけれど。
今は元気な燐の声が聞けたことが嬉しくて、他愛もないお喋りに適当な相槌を打ちながら、開いていた教科書とノートをぱたんと閉じて彼の声に耳を傾けた。

「こんな夜中に電話してきよるから、ビックリしたわ。何かあったんか?」
『あー、うん。あのさ、実は勝呂の父ちゃんたちから聞いたんだけどさ』
「ぁあ?」
『お前、今日、誕生日なんだって?』
「ああ、そうやけども……それが、どう」
『おめでとう、言いたくてさ』

もう、ケーキでお祝いなんて年齢でもないし。
そもそも、今年の夏は色々なことがあり過ぎて、正直それどころじゃなくて。
うっかり自分でも忘れかけていた誕生日だったから、別段何の気もなしに受け流そうとした勝呂におっかぶせるみたいに、電話の向こうで燐が声を張り上げた。
その声の真剣さに思わず黙った勝呂にもう一度、今度はいくぶん改まった調子で燐が囁く。


『勝呂、誕生日おめでとう』


こんな声も出せるのかと思うほど、やわらかく、やさしい声。
あまりに普段と違うトーンの声で名前を呼ばれて驚いて、むずむずと居心地の悪いくすぐったさが背筋を下りた。
何とも言えない照れ臭さに、返事をかえすのも忘れて携帯を握りしめた勝呂の沈黙を、電話の向こうにいる燐はどう取ったのか。ほんのすこし躊躇うような短い沈黙を挟んで、吐息だけで笑った気配が伝わってくる。

『俺、どうしても一番におめでとう言いたくて、日付変わるの狙ってかけたんだ』
「そおか、」
『あ、あのさ。今日には間に合わねーけど、何か欲しいもんとかないか?プレゼントとか色々考えたんだけど、勝呂が好きそうなモンってよく分かんなくてさ』
「――――奥村」
『ん?』

名前を呼べば、即座にかえってくる期待に満ちた燐の声。
恥ずかしいヤツ、照れ臭い、高校生にもなって野郎同士でお誕生日おめでとうなんて、痒いわ、ガキくさい
―――――だけど、どうしよう。

(やばい、めっちゃ嬉しい)

顔は見えないのに、携帯越しの声だけなのに。
心から誕生日をお祝いしてくれているんだと分かる、嬉しそうに弾む声音。
振り払ってしまいたいような気恥ずかしさと、もっと彼の声を聞いていたいなんて矛盾した二つの欲求に挟まれて、勝呂は「ああ」と溜息のような声を洩らした。
これじゃ、まるで恋煩いだ。

きみの声を聞いていたい、いますぐ君に会いたい。

きっと世間に溢れるラブソングや恋愛小説では、何度もくりかえされているだろう、ありきたりな言葉、お馴染のフレーズ。
さんざん鼻で笑って馬鹿にしてきたその言葉の真摯さを、いま。身を持って思い知りながら、けれどまさかそんな台詞を燐相手に言えるはずがなくて、勝呂は奥歯を噛みしめる。



「プレゼント、リクエストしてもええか?」

プレゼントなんて、本当は要らない。
ただ、もう少し声を聞いているための口実が欲しいだけ。

『おう、どんと来い!……あ、だけど高いモンは勘弁な』

情けなく尻すぼみになった声に、つい笑ってしまう。

「お前にそんな無茶振りせぇへん。いま、お前ひとりか?」
『ああ、隣の部屋にシュラが居るけどな。部屋には俺だけだぜ?』
「ほうか、なら……歌、うたってくれ」
『歌?……歌って、えーと、ハッピーバースデーってやつ?』
「おう」


落ちる、奇妙な沈黙。
声を聞いていたいと言う代わりに、冗談だと笑い飛ばせそうなリクエストをしたつもりだけれど、よくよく考えたらこっちの方が余程恥ずかしいような気がしてきた。
いっそ、歌を聞きたいと言った時点で噴き出してくれた方が良かったなんて、今更な後悔に頭を抱えたくなったが、出て行った言葉は無かったことにはできなくて、耳が熱い。
時間にすれば二人が黙っていた間なんて、きっと数秒でしかなかったのだろうけれど。勝呂にはとてつもなく長い間、燐が沈黙していたように感じられて、やっぱり今のはナシだとキャンセルを口に出そうとした、その時。

『ハッピバースデー、トゥーユー』

照れ臭いのか、喋っている時よりも少し控えめの音量で、携帯から聞こえてきた歌声に勝呂は息を止めた。


Happy birthday to you,
Happy birthday to you,
Happy birthday, dear 竜士,
Happy birthday to you.


いつもの声よりもすこし低いトーンで紡がれるシンプルなメロディーにじっと耳を澄ます。
静かなブレス、まるい音。囁くような歌声は、普段の燐とはかけ離れた印象だけど、そんな声も好きだと素直に思った。
急ぎ過ぎないように丁寧に歌い上げた最後の音が、ゆっくりと夏の夜の空気に溶けて消えていく。
そうして再び訪れた沈黙の向こう側に、感想を待っている燐のかすかな息遣いを聞いて、勝呂はひっそり微笑んだ。

「奥村」
『う、歌ったぞ!?』
「アンコールや」
『はぁ!?まじかよ、歌うの?もう一回!?』

燐も照れ臭いのだろう、上擦った声が返る。
それでも黙って待っていれば、また。大真面目に歌い始める燐の律儀さが嬉しくて、目蓋がすこしだけ熱を持った。








「なぁ、お前。いつ帰ってこれるんや?」
『んー、たぶん新学期には間に合うんじゃねえかな』
「はよ、帰ってこい」
『俺だって、はやく帰りてぇよ』

想いを込めて囁けば、間髪入れずに返る彼の声。
はやく会いたい。

この気持ちが一体何なのか、自覚してしまって尚更に強く、そう思う。

遠く離れた空の下、携帯電話越しの声だけを頼りに繋がったまま。
勝呂は燐の瞳の青を思い浮かべて、祈るように目を閉じた。





5コール

きみの声に逢いたい。