ぱらり、ぺらりと。 隣の机から聞こえてくる、ページを捲る微かな音。 ちらりと横目で窺えば、珍しく机に向かっている志摩が何やら熱心に誌面に目を落としているのだが、残念ながら彼が読んでいるのは高等部の教科書でも、祓魔塾の教科書でもない。 それはさっき、塾の帰り道に寄ったコンビニで買ったエロ本だ。 塾や学校の予習もしないで、しかも同室の人間の前で堂々と広げてエロ本なんか読むなやと思いつつ、しかし自分たちが寝静まった後にコソコソと読まれるのも、それはそれで生々しくて嫌な気がしたので あえて何も突っ込まないでおく。 勉強机ではなく床に直接暗記用のノートを開いて、こちらも熱心に聖句を暗唱していた子猫丸も、勝呂の物言いたげな視線に気が付いて志摩に目を向け、同じように呆れたような半眼になった。 事件続きだった夏休みはあっという間に過ぎて、そうして戻ってきた日常。 燐が魔神の落胤だと発覚したり、仲違いで気まずい日々を過ごしたり、京都でそれこそ死ぬような目に遭ったりと。まさに激動の夏を過ごしたせいで尚のこと、この学生らしく毎日を送れることの幸せを思い知ったのだけれど、 当然普通の学生生活には宿題だとか試験勉強というものがセットになっているわけで、しえみを除いた祓魔塾の塾生たち全員が、現在目前に迫った中間テストに向けて勉強中だ。 あの京都での騒動と比べれば、こんなテスト勉強なんて屁でもない。 あれだけの目に遭ったのだから、さすがに志摩もこれからは毎日を大切に、少しは真面目に勉強にも取り組むようになるかと思っていたのだが―――――筋金入りのエロ魔人はそう易々とは更生はしないようだった。 「なんや、急にシンとして」 聖句を諳んじる子猫丸の声、予習ノートに要点を書き付けるペンの音が止んだことに気付いた志摩が顔を上げ、ようやく同室の二人にじーっと睨まれていることに気付く。 言葉にしなくてもしっかりはっきり伝わってくる、幼馴染二人の非難めいた視線を受け止めて首を竦めた志摩は、机に広げていたエロ本を手に取ると二人にも見えるようにページを開いた。 「いややわぁ、言うてくれはったら一人占めせんと、お二人にも見せますのに〜」 「誰がエロ本見たい言うたんや!ドアホ!!」 「そうやなくて、勉強せえ言うてるんですよ!」 あんまりに見当違いな志摩の台詞に、青筋を立てた勝呂がバッと彼の手からいかがわしい雑誌を奪い取り、乱暴に勉強机に叩き伏せる。 ページが閉じられる直前、目の前に広げられたやけに肌色の面積の多い写真から、微妙に目を逸らしながら子猫丸が文句を言うと、ちょっと赤くなった耳を目敏くみつけた志摩がにんまり笑った。 「またまたぁ、そういうコト言いながら、子猫さんかてホントは興味あるくせに」 「ち、違います!」 「えーってえーって、無理せんでも。てゆうか、女の子に興味ないとか言うたら、ソレ只の変態やで?」 「ええかげんにせえ、志摩。子猫丸に絡むんやない」 「絡んでませんて、健全な男子としての普通を解いてるだけですやん」 そりゃあ勉強も大事だけど、女の子のこと考えるのも普通ですやろ。 殊更に「普通」のところを強調するように力説する志摩に呆れつつも、なんとなく彼の話に耳を貸してしまうあたり、少し勉強に疲れていたのかもしれない。 ふと見れば、時計の針はあと一時間で今日が終わるというところを指していて、夕食後ずいぶんと長い時間机に向かっていたことに今更気がついた。 自覚すると集中力が切れるのか、あれだけ迷惑そうな顔をしていた子猫丸も、まだ不機嫌そうに眉を吊り上げてはいるものの、暗記ノートは閉じてしまっている。 溜息を吐いて、閉じる教科書。 珍しく「やかましい」の一喝で話題の強制終了ではなく、椅子ごとこちらへ向き直ってきた勝呂に、志摩が楽しげに目を輝かす。 その、何か楽しいことがありそうだと期待に満ちた眼差しは、燐が勝呂に対してよく向けるそれと似ていて―――――ふと思い浮かんだ青色を追っ払うように、勝呂はがしがしと髪を掻き回した。 「なぁ、志摩」 「なんですか、坊」 「お前は暇さえあれば女、女て言うてるけどな。お前は女の何に、そない興味があるんや?」 「えーっ、何ですかその質問」 「ああ、それは僕も思ってました。志摩さんの女好きは昔からよう知っとったけど、なんやハッキリせんと言うか。つまり何がしたいんかなって」 中学生の時のあだ名はエロ魔人。 しかし、幼馴染の二人は知っている。 志摩の女好きはその頃だけでなく、もっともっと早熟な。それこそ、物心ついた時からすでに始まっていたことを。 可愛い女の子がいれば寄っていく、話しかける、あれやこれやと触りたがる。 ひとつ上の兄貴の部屋を物色して、エロ本やお宝ビデオを探し当てては、その後ぼっこぼこにされたのも一度や二度ではない。 それだけ筋金入りの女好きを隠すことなく、正々堂々とおおっぴらにしながらも、何故か志摩の口から恋愛絡みの話というのを聞いたことがないのだ。 「あのコ、かわええ言うのはよう聞きますけど、誰が好きやいうのは一つも言うたコトないでしょ」 「彼女欲しい言うんは、しょっちゅう言いよるけどな」 「けど、好きな人が居るゆうのは、一遍かてない」 そんなに女の子が好きならば、真剣に彼女を作ればいいのだ。 こう言ってはなんだが、志摩は普段へらへらしてばかりいるけれど、決して顔の造作は悪くはない。真剣にその気になればきっと彼女の一人くらいできるだろう。 実際、中学の頃にだって志摩に想いを寄せる女の子は居た。 しかしバレンタインデーのチョコレートと一緒に貰った告白を、「ごめんなぁ」の一言で袖にしてしまったのは他でもない志摩本人だったわけで、 あれだけ普段「彼女が欲しい」だの「女の子ってエエなぁ」と騒いでいるくせに、まったく一致しない言動は端から見れば意味不明だった。 すっかり忘れかけていた昔話を蒸し返されて、二人に尋問される格好になった志摩は「あー」と、意味のない声を出してへにゃりと苦笑う。 「いやぁ、こう言うたらアレですけどね‥‥誰か一人に決めてもうたら、もう他の子のコト可愛えなぁって眺めたり、お喋りしに行ったりできませんやん?」 「そら、そうやろ。まぁ、喋るくらい構わへんやろ思うけど」 「それが違うんですわ。女の子の嫉妬をナメたらあきまへんで、坊。ちょーっと二人でお喋りしとっただけで『何喋ってたん?』『あのコ何なん!?』って、もう怒る怒る。正直大変言うか‥‥」 ―――――面倒臭い。 口調は笑いを含んで柔らかく、しかしきっぱりと言い切られた一言に子猫丸と勝呂は沈黙し、お互い顔を見合わせた。 志摩の言いたいことは分からないではない。 けど、なんだか、その物言いはすごく・・・・ 「志摩さんて、女の子の味方や思うてましたけど」 「お前が一番アカン、むしろ敵やわ」 最低、と。 分かりやすく顔面に書いて、お互い頷き合った幼馴染二人を前に、志摩がそんなぁ!と情けない声を上げた。 確かに逐一あれこれ詮索されたり嫉妬されれば、それは鬱陶しいだろう。 けれどいま志摩が挙げた状況は、日頃から誠実で居さえすれば避けられる疑いのはずだ。 「敵やないですってば!せやから誰ともお付き合いせぇへんで、みんなと仲良うしてるんやないですか。そら、触りたいとか色々思うこともあるけど、だからこそのエロ本であるわけで」 興味から、すっかり冷やかなものに変わった二人の目線に、どうにか信用を取り戻そうと志摩が身振り手振りで力説するが、空回りの気配濃厚だった。 同じ男同士だったら、そんな風に目移りしたくなる気持ちも共感してもらえるかと思ったのに、アテが外れて完全なる「ぼっち」状態だ。 もちろん、志摩の言い分も一応は理解できる。 勝呂だって態度や口に出さないだけで、やっぱり可愛い女の子がいれば自然と目は向くし、美人に見とれることだってあるから。 けれど、もし一番に好きな相手が居て。 幸運にもその人と付き合うことができたなら、もう他の誰にも目移りなんてする必要がないと思うのは―――――まだ実際に誰かと付き合ったことがなく、恋に夢を見ているだけだからだろうか。 (そんなんは、物知らずの理想論か?) 女の子だから興味がある、触りたいと思うのではなく。好きな相手だから、もっと知りたい、近付きたいという欲求。 狭いプリクラの中で、彼の肩を抱き寄せた時。 目元にかかる長い前髪を、そっと避けてやった時。 あのとき感じた心地良い緊張感と、言葉にできないもどかしさ。切なさを孕んだ熱が体の奥で燻る感じを思い出して、その甘さに思わず勝呂は奥歯を噛み締めた。 (アカンやろ、自分) そこには下心なんて欠片もあるはずがなく、ただ純粋に触れたいと思ったから触れた。ただ、それだけ。 だけどこれは燐に向けて良い類の感情じゃないと、頭では理解しているから用心深く目を逸らしているというのに。 きっと同じ年頃の男子なら普通に話題に上ることもあるだろう、女の子のことや恋愛談議の最中に、彼のことを連想してしまうなんてかなりの重症だ。 苦虫を噛み潰したような顔で、急に黙り込んでしまった勝呂に、志摩と子猫丸が不思議そうな視線を向ける。 自分の思考に沈みこんでいたせいで、そんな二人の反応に気付くのが遅れた勝呂は、誤魔化すようにえへんと咳払いをひとつすると、机の上に伏せていたエロ本を引っ掴み、つっけんどんに志摩へと返した。 「俺には、よお分からへん!」 「へっ?」 「お前の言うてること、まるっと全部。よぉ分からん言うてるんや」 「えーっ、こんだけ語らせといてソレはないわ。ちょっと、ぼ‥‥」 「コンビニ行って来る」 「えーっ?」 脈絡のない行動。 机の隅に置いてあった財布を掴んで立ち上がった勝呂に、こんな遅い時間から?と咎める響きで子猫丸が声を上げる。 それに構わず、まるで逃げるように。子猫丸と志摩の視線を避けたがる雰囲気で、急ぎ足に部屋を飛び出して行った勝呂の背中をポカンと見送って、子猫丸は行き場を失くした引き止める為に上げた右手を膝に下ろした。 出ていく間際「分からない」と声を荒げた勝呂の、ピアスだらけの耳が微妙に赤くなっていたのを見逃さなかった志摩は、返してもらったエロ本を再び机に広げてニンマリと笑う。 「ほんま、ピュアゆうかカタブツ言うか‥‥坊は真面目さんやなぁ」 「そんなん今更やないですか。坊が真面目なんは昔っからで、志摩さんはもう少し見習った方が、」 「あーいや、子猫さん。そういう真面目やなくてな―――――まぁ、ええか」 きっと。 いや、十中八九間違いなく、勝呂には好きな子がいるんだろう。 だからこそ余計に、過剰なまでに志摩の不真面目な軽口に腹を立てたに違いない。彼はバカがつくほど真面目な男だから。 それを指摘しかけて、やっぱり止めたと口を噤んだ志摩は、あの勉強一辺倒な勝呂の想い人は誰だろうかと、最近彼のまわりに居る女の子たちの顔を順繰りに思い浮かべてみた。 ぱっと思いつくだけで、祓魔塾つながりでまず三人。 志摩から見れば、どの子もとびきり魅力的で可愛らしい女の子ばかりだけれど、自分とまったく価値観の違う勝呂にとってはどうだろうか。 感情を偽ることが苦手な彼のことだから、探るつもりで眺めていればきっと、表情や話す言葉に隠しきれない好意の欠片が顔を出すに違いない。 これは明日から、学校へ行く楽しみがひとつ増えたぞと。 これまた勝呂や子猫丸が知ったら呆れ顔をされそうな、不真面目な期待を胸に抱えて。志摩はニヤニヤ笑いを噛み殺しながら、肌色グラビアの上に頬杖をついた。 致死量の柔い熱 |