あまりに見慣れないものだから、どうしたって目線はついついそちらへ引き寄せられる。 ちいさな体、細い手足、幼い子供らしくふわふわの、やわらかなまあるい頬。 突然やってきた勝呂たちに驚いて寮の奥へと逃げ込んだものの、すぐに雪男に抱っこされて再び三人の前に姿を現した子供の面立ちは、改めてちゃんと向かいあって見れば随分と若返ってしまって いるが、やはり奥村燐そのもので。 一体どうしてこんなことになってしまっているのかと、困惑する勝呂と子猫丸の間に挟まった志摩は、思わず盛大に噴き出した。 「志摩、何笑ろとるんや!」 「おまえっ、いま、おれのこと見て笑ったな!」 笑いごとではない事態だということは理解しているのに、これまたいつもと同じタイミングで、勝呂と小さな燐が同時に怒鳴ったりするものだから、ますますいけない。 ずいぶんと可愛らしい姿になってしまっているのに、怒るタイミングだとか、こんな時に妙に勝呂と息が合ってしまうあたり、チビッ子でもやっぱり燐は燐なのだなと妙な感心をしながら、 志摩はまだ収まらない笑いの発作を必死に噛み殺しながら「堪忍なぁ」と形ばかりの謝罪をする。 怒って足をばたつかせる小さな燐を、わりと必死の様子で抱き留めながら雪男は、困った顔でやれやれと首を横に振った。 「志摩くん、不必要に兄を挑発するのは止めてください。こんなサイズでも、力はかなり強いんです」 「いったい、どういうことなんです?どうして奥村くん、こないな事になってはるんですか?」 最後に彼と会ったのは先週末の塾だ。 あのときはまだ、燐はいつもと何も変わらない。同い年の姿で、いつもと変わりなく手を振って別れた。 病気、事故、もしくは何か魔障の類だろうかと子猫丸は思いつく限りの可能性を並べてみたものの、これまで勉強した中ではどんなに探しても「子供返り」なんて現象はあり得ない。 助けを求めるように隣に立つ勝呂を見上げてみたが、さすがの勉強家でもこれは範疇外だったようで、結局困惑顔を見合わせただけに終わった。 最初からあてにされていない事を知ってか、微妙に重い場の空気を気にした風もなく、志摩だけがにこにこしながら燐に目線を合わせて話しかける。 「奥村くん、いま何歳なん?」 「おれ、5歳!」 びしっと、効果音がつきそうな程の勢いで突き出された小さな手のひら。 めいっぱいに開いた五本の指が、彼の年齢を指しているんだと勝呂と子猫丸が理解するのに少し間が必要だった。 常よりも低すぎる雪男のテンションと、あまりにも無邪気な燐。 対照的な双子の顔を見比べて、ようやっと突き出した手の平の意味が脳に浸透してきた二人は、ひきつったような笑顔になる。 「・・・えらいこっちゃ」 「若先生、これ本格的にまずいんと違います?」 「ええ、まずいですよ。そんなことは分かってます」 今更な台詞に、雪男の眉間に皺が寄った。 例えば同じ「外見が子供になる」という事態に見舞われたとしても、中身が元の年齢のままでいるのと、精神まですっかり子供返りしてしまうのでは、事の厄介さが格段に違う。 もしもこの状況でも中身が現在の燐のままだとしたら、雪男はここまで神経を尖らせたりはしていないだろう。 いくらいつも自由奔放にしているとはいえ、十五歳の燐ならばある程度の分別はついているし、多少の不便はあっても身の回りのことは全部自分でこなせるはずだ。 けれど中身まで五歳児になってしまうと、そうはいかない。 当然、身の回りの世話は必要だし。きっと聞きわけだって宜しくないだろうし、何よりも現状の異常さを理解できないでいるだろう。 現に燐は、ちっとも困った風でもなく。 それどころか雪男に抱っこされているのに飽きたのか、今度は下ろせ下ろせと暴れている。 五歳児にしては激しすぎる抵抗を、この数日で多少は扱い慣れたのか、うまく丸めこんで宥めすかしながら雪男が溜息を吐いた。 「本当は話すつもりはなかったんですが、見られてしまっては仕方ありません。とりあえずの経緯を説明しますので、奥へどうぞ」 全ては、先週の日曜日。 雪男が任務で回収した曰くつきの品を報告書作成の為に一度、寮へ持ち帰ってきたことが事の発端だった。 よくバラエティ番組や、悪魔を知らない人間が怖いもの見たさで見るようなオカルト番組で、話題に上ることが多いものの一つに「○○するだけで、願いが叶う」品というものがある。 それは座るだけで幸福になる椅子であったり、撫でるだけで金運に恵まれる動物の像であったり。その形状は様々だけれど、とにかく幸せを呼ぶ都市伝説は人気が高く、その類の噂はまことしやかに広まって信じられている 事がとても多い。 祓魔師目線で言わせてもらうなら、あんなのは気休めに過ぎす。 願いがかなったような気になるのも、実のところはプラシーボ効果によるところの方が多いのだが――――中にはごく稀に、本当に特別な力を宿した品が紛れ込んでいることもあって、それがなかなかに危険なのだ。 「よく、神の加護だとか奇跡の力だとか言いますけどね。本当に願いを叶える力があったとして、その9割方は悪魔の罠か気紛れです。関わると厄介なことになります」 「あー、よう言いますもんねぇ。願いは叶ったもんの、そのあとロクな死に方せんやったとか」 「人が苦悩したり不幸になるのを眺めて楽しむのが悪魔ですから。一度良い思いをさせて、その後突き落とした方が悲しみは深いでしょう? そして今回、僕が受けた任務も、そんな曰くつきの品を回収するといったものでした」 雪男が回収を任されたのは、とある古物商が商品として店に置いていたブレスレットだ。 小さく砕いた翡翠と橄欖石、水晶を繋いだそれはとても繊細な作りをしていて美しく、繋いだ石にまつわる言葉も縁起の良いものだったので、ショーケースに並べるなり買い手が付くのだが、 どういう訳か一年も経たないうちにブレスレットの持ち主が原因不明の死を遂げるという不吉な代物だった。 最初の一人目の時は遺された家族が気味悪がってブレスレットを返しに来、古物商は「そんなわけないでしょう」と笑って気にも留めなかったのだが。 そんな調子で二度、三度とオーナーが代わってはいつも一年ほどで返品されるという事を繰り返すうちに薄気味悪くなり、彼はついに祓魔師に助けを求めることにしたらしい。 古めかしいブレスレットの箱の内側には、古い銀糸で『grant a wish』(願いを叶える)と刺繍が施されていて、それがまた事情を知っていると一層胡散臭く思えた。 「本当は速やかに日本支部へと持ち帰り、その場で報告書まで作ってくれば良かったんですが。思いのほか古物商のご主人の話が長引いて、学園町に帰りついたのが深夜になってしまって。仕方なくそのブレスレットを僕は 寮へと持ち帰ったんです。夜のうちに報告書まで作成しておくつもりで、それが・・・・」 教壇に立つ時のように淀みなく説明を続けていた雪男の声が尻すぼみに萎んで、視線が勝呂たち三人から食堂の隅で床にぺったり座って遊んでいる燐の方へと動く。 意味ありげに流れた視線を追って燐を見た三人は、そこでようやく子供の細い手首に件のブレスレットが嵌められていることに気が付いた。 燐の性格を知っていれば、もうみなまで聞かなくても後の事情は大体想像がついてしまうのが辛い。 いくら見慣れないものが部屋に置いてあったとしても、仮にも祓魔師の仕事机の上に置かれていたそれを、いきなりそれを何の断りもなく身につけるなんて怖いことは普通ならしないはずだ。 友人がそこまでのお馬鹿さんだったのかと思うだけで、何だか頭が痛くなってくるのだから、双子の弟である雪男はもっともっと情けない気分だろう。 同情なんてしたら、失礼だろうかと思いつつ。 それでも何だか放っておけなくて、勝呂は項垂れた雪男の肩をぽんと叩いた。 「若先生は何も悪ないですよ、あり得へんのは奥村の方や」 「ありがとうございます・・・・僕もまさか、兄がここまで考え無しだとは思いませんでした」 「しかし、あのブレスレット。放っておく訳にはいかへんのですよね?どうにか外す方法はないんですか?」 燐があのブレスレットを身に付けてから、もうすぐ一週間が過ぎようとしている。 現状は子供になってしまっただけで(それも十分問題なのだが)、他は調子が悪そうな様子もなく健康そのものといった感じなのだが、なにせ相手は何人もの人間を死に至らしめた曰くつきの品だ。 いったいいつ、その呪いが燐に襲いかかるか分からないし、そもそも悪魔である燐にその呪いが向けられた場合。一体どういうことになるのか、皆目見当もつかない。 抱えた不安要素の多さを考えると、一刻も早くあのブレスレットを外すべきだろう。 心配に表情を曇らせて燐を見た子猫丸に向かって、雪男は溜息混じりに首を横に振った。 「思いつく限りの方法は試しました。しかし、何をやっても効果が無くて・・・一応、理事長には状況を報告して協力を仰いではいるのですが、現状は八方ふさがりです」 これまでは一度の例外もなく、身に付けた者を死に追いやり。 持ち主の呼吸が止まったその後にだけ、外すことができたという呪いのブレスレット。 この一週間の間に許された全ての時間を費やして、雪男は祓魔師のみが利用できる書庫に入り浸り、類似していると思われる呪いに関する過去の報告書や書籍を読み漁った。 そのなかで唯一得られた手掛かりと言えば、この類の呪いは「身に付けた者の真の願いを聞き届けた時にだけ、祓魔師に祓われなくても呪いから解放されることがある」ということだけ。 しかし、それが全ての呪いに共通するのかといえば、それはまた確実ではなく。 ヒントと呼ぶにはあまりに曖昧すぎて、参考にすらならない。 そもそも、呪いを受けた本人でさえ気付かないような深層心理に沈みこんだ本当の願いや願望なんて、他人が探り当てられるはずがないように思えた。 「せやけど奥村くんの場合は、わりとヒントがはっきり出とる方やと思うけどなぁ」 こっちおいで、奥村くん。と 一人で退屈そうに床に寝そべっている燐に両手を広げて見せて、志摩が笑う。 やっと遠巻きに眺めるだけでなく、遊んでくれそうな相手を見つけたとばかりに、笑顔で飛びついて来た燐の脇の下に手を入れて「たかいたかーい」と勢いよく抱き上げながら、志摩はテーブルにつく三人を振りかえった。 きっとこの一週間、ろくに眠れていないのだろう雪男も。 事の重大さに途方に暮れた子猫丸と、心配が過ぎて苛々している様子の勝呂も。 こんな遊びたい盛りの小さな子供が側にいるというのに、彼らを取り巻く空気と表情はまるでお葬式だ。 「奥村くんは小さな子供に戻ってもうた。けどブレスレットは外れへん・・・ということは?」 「ああ、なるほどな」 志摩に抱き上げられて、ようやっと構ってもらえて嬉しそうな燐を見て勝呂が声を上げる。 「子供の頃に何かやりたかった事があったから、五歳に逆戻りした言うわけか」 「たぶんですけどね」 「せやったら、とことん奥村くんの好きにさせてあげたら、呪いが解けるかもしれへんのですね」 「一緒に育った僕から見れば、いつだって兄は好きな事してたように思いますけど・・・確かに試してみる価値はありそうですね」 これまでは、とにかく呪いを引き剥がす選択肢しかなかったのだろう。 あまり納得はしていないような顔で、しかしもう他に思い付く解決策もない雪男も子猫丸の言葉に頷いた。 ただひとり、置かれた状況を理解できないでいる五歳の燐だけは、急に結束した四人の様子に不思議そうに首を傾げたが、すぐに興味は他所へと移り、真ん中だけ色の違う勝呂の髪を興味津々に眺めている。 あまり事態を公にはできない。 (魔神の落胤を狙う人間や悪魔たちに、燐を襲う好機だと悟らせないため) 時間を無駄に費やす訳にはいかない。 (連休が明けてしまえば、燐につきっきりという訳にはいかない) 事は一刻を争う。 (いつ、かけられた呪いが燐に害を及ぼすか分からない) 他にもまだまだ制約はありそうだけれど、とりあえず思いつく限りで重要なのはこの三つ。 まだ候補生の三人と、天才と囁かれる能力を持ってはいても、経験豊かとはまだまだ言い難い年若い祓魔師が一人。 たったこれだけのメンバーで得体の知れない悪魔の呪いを解くことができるのか、正直なところ自信があるとは言えないけれど、でも。 「やるしかないやろ」 「仲間ですからね」 「ま、無事にもとに戻ったら、潰れた連休ぶんは奥村くんに埋め合わせしてもらえばええし」 誰一人として投げ出すつもりはなく、それどころか協力するのが当然だと頷いた勝呂たち三人に、雪男はようやく少しだけ笑顔を見せた。 誰の手も煩わせるものかと意地になっていたけれど、秘密を共有する相手ができただけでも、驚くほど心が軽い。 「なんの話してんだよ?」と声を上げ、ちっとも大人しくしていない五歳児な兄を志摩の腕から抱き取って、改まった調子で背筋を正すと、雪男は燐を抱えたままぺこりと頭を下げた。 「すみません、うちの兄がご迷惑をおかけします」 五歳児になってしまった燐と過ごす五日間のお話。一日目・10/7(金) |