燐と雪男の育ての親、藤本獅郎は聖騎士という立場上いつも忙しく任務に飛び回っていたが、それでも二人が幼い頃は、春になればお弁当を持って桜を見に、夏には海水浴へ。 できる限りの時間を割いて、ちいさな兄弟が家族としての思い出をたくさん作れるようにと、どれも安・近・短の条件付きではあったけれど、ちゃんと家族旅行へ連れて行ってくれた。 それでもやはり、人混みの中に連れ出すのは心配だったのか。それともコスト的に厳しかったのか(今に思うと、単に獅郎があのファンシーな空間に耐えられないだけだったのかもしれないが)遊園地だけは一度も 連れて行ってもらったことがない。 だから、小さな燐に「どこへ行きたい?」と訪ねたとき、「遊園地!」と即答でかえってきたのは想定内だったし、実は雪男も少しだけ楽しみだったりはしたのだけれども。 「はー!やっばいわ、遊園地がこないオモロイもんやとは思わんかったわぁ」 「なんや子猫丸、えらいぶっさいくな顔で写ってんで?コレ」 「そういう坊やって、笑顔ひきつってますやん」 古びたホテルのてっぺんから一気にエレベーターが落下するという、なかなか悪趣味な設定のフリーフォールでひとしきり騒いだあと、落下の瞬間を激写した写真を皆でワリカンにして一枚買って覗き込んだ。 横一列に並んで座ったみんなの写真は右のはしっこから、何故かカメラ目線で笑顔の志摩、てっぺんからの景色に見入っている風の雪男、両手バンザイで笑う燐とセーフティーベルトを両手で掴む顔色の悪い子猫丸、 一応は笑っているものの視線が泳いでいる勝呂、という順番で並んでいる。 プリントしたての写真を囲んで、お互いの顔を指さして笑い合う京都組の三人も、実は遊園地で遊ぶのはこれが初めてであるらしく、みんな楽しそうだ。 明陀宗は青い夜以降、門徒が激減して随分と苦しい立場に追いやられたと話していたから、勝呂たち三人もきっと辛抱することの多い子供時代を過ごしてきたのだろう。 最初こそ何だかぎこちなかったものの、燐のリクエストに付き合ってジェットコースター、バイキング、フリーフォールと。遊園地の花形、3大絶叫マシーンに立て続けに挑んでいるうちに 気まずい空気はどこかへ置き忘れてきたようで、五人は額を寄せ合って「次は何乗ろう?」と遊園地の園内マップを広げた。 「志摩ー、おれも!おれも地図見たい!!」 「あー、もう。やかましい奴やなぁ。ほれ、こっち来い」 子猫丸でぎりぎり見える高さに開いたマップを一緒に眺めたくて、ぴょんぴょんとジャンプを繰り返す燐を勝呂が肩車に担ぎ上げる。 何だかんだ文句を言いながらも面倒見の良い勝呂に、志摩と子猫丸が顔を見合わせて笑い、雪男が小さく噴き出した。 どうして皆が笑うのか分からない燐は、勝呂の肩の上で不思議そうに首を傾げたが、そんなことよりもいつもより随分高くなった視点の方が面白かったようで、落ち着きなくキョロキョロと辺りを見回している。 雪男や志摩のつむじを見下ろし、勝呂のかっこいいトサカみたいな金髪を撫でて叱られ、それからようやく一緒に見たかった園内マップに視線を落とした燐は遊園地の北の隅っこ。 少し他のアトラクションから離れた緑の多いエリアにぽつんと建つ、怪しげな佇まいの洋館のイラストに興味を引かれて指差した。 「それ、なんだ?」 「んん?あー、これはお化け屋敷やねぇ」 「おばけ?」 小さな文字で添えられた案内を読んでくれた志摩に、燐は目を輝かせる。 急にピンと伸びた背筋、頭にしがみつく小さな手に力が籠るのを感じた勝呂が苦笑した。 「なんや、お化け見に行きたいんか?」 「行きたい!おれ、ぜんぜん怖くねーよ!・・・あ、でも」 「でも?」 「雪男が怖いのダメだから、やっぱ止めとくかな。泣いちゃうかもしんねーし」 「それ、いつの話だよ!」 誰にも知られたくない恥ずかしい過去をあっさりと暴露されて、思わず素で怒鳴った雪男が燐の口を塞ごうと手を伸ばす。 それを持ち前のすばしっこさで避けて、悪戯っ子の顔で笑った燐は勝呂の頭にしがみついた。 昔は体が弱かったとは聞いていたけれど、さらに怖がりだったというのは初耳で。今とはまったく結びつかない子供時代の話に、志摩は面白そうに雪男の顔を覗きこむ。 しかし「お化け、苦手やったんです?」という一言は口に出す前に、雪男の人をも殺せそうな鋭い一睨みで封じ込められた。 そんな志摩と雪男の無言の攻防に巻き込まれまいと、さっさと志摩の手から園内マップをもぎ取った子猫丸は、まわりにあるアトラクションから現在位置を探し出し、お化け屋敷のある方向へと指をさす。 時刻はお昼をすこし過ぎたくらい。 アトラクションはどこも混んでいてそれなりの時間並んだけれど、この時間帯ならばきっと他のお客は食事の為にレストランへと流れるだろうし、こんな真昼間からお化け屋敷へ向かう人はあまりいないだろう。 すこしお腹が空いたような気はするけれど、待ち時間なしで行けるならば先にお化け屋敷を見て、ランチタイムの後にご飯を食べに行ったほうが効率が良さそうだ。 午後の段取りを大まかに考えていた子猫丸の横に、勝呂が並ぶ。その彼の頭の上からは、期待に満ちた目で燐が見下ろしてくる。 「ほな、行きましょか」 「よーし!勝呂、お化け屋敷に向かってはっしーん!!」 「俺はお前の乗りモンやないぞ、コラ」 子猫丸の予想通り、お昼ご飯時のお化け屋敷は人も疎らのガラガラで、一応表の案内には「待ち時間5分」と書かれてはいたものの、実際は一度も立ち止まることなく入場することができた。 先ほどのフリーフォールと同じ怪しげな雰囲気、いかにも曰くありげな空気を醸す古びた洋館。その中をゴンドラに乗って進んでいくというタイプのお化け屋敷は、スリルや恐怖心を煽られるというよりはホラーのショーを 眺める色合いの方が強い。 この幽霊屋敷の使用人という設定であるらしい、メイド服姿の可愛い女性スタッフに愛想を振りまく志摩を引きずって、一歩先を行く勝呂と子猫丸の背中について歩きながら、細部の装飾に至るまで丁寧に造り込まれた 幽霊屋敷を眺めていた雪男は、ふいにぎゅっと手を握られて視線を足元へと向けた。 背が低いせいで自分たちの影に入ってしまい、より一段と薄暗い廊下を歩きながら、燐が雪男の手を強く握りしめてくる。 目が合うと、燐はまるで雪男を安心させようとするみたいに、からりと笑って見せた。 「ゆきお、大丈夫か?」 きっとさっきのやり取りを覚えているのだろう、気を使ったと分かる燐にしては小さな声。 だけど子供の内緒話の音量は、それでも十分回りに聞こえる大きさで、少し前を行く志摩が笑いをこらえて肩を震わせたのが分かる。 溜息をつきたい気分をぐっと堪えて、繋いだ手を握り返した雪男は、こちらもなるべく燐だけに聞こえるような小さな声で「平気だよ」と返した。 こんなにも体のサイズが違うのに、それでも燐にとって雪男は守るべき弟なのだ。 それは勝呂たちにこの事故を打ち明ける前の一週間、二人だけで過ごしていた間にも感じたことだけど、こうして分かりやすく行動で示されると、ちょっと複雑な気持ちになる。 そもそも、燐はどこまでこの状況を理解しているのだろうか? 雪男の記憶はあり、15歳の姿を見ても何の躊躇いもなく「自分の弟だ」と言う燐。 そのくせ祓魔塾やクラスメートたちのことは知らないと言い、養父・獅郎は生きていると思っていて、そのくせ旧男子寮に雪男と二人で寝起きしていることには疑問を感じていない。 自分が、悪魔として覚醒したことも知らずに居る。 15歳の人間が、突然5歳へと退行すること自体が異常なのだから、きっと記憶や精神も強引なかたちで捻じ曲げて、どうにか辻褄を合せている状態に違いない。 そう思うと、尚のこと。 燐の心に何か重大な歪みが出てしまう前に、はやくこの呪いを解かなければと気が焦った。 手を繋いで歩く燐は、そんな雪男の気持ちを知ってか知らずか。小さな歩幅で精一杯早足に歩いて、すこしでも雪男より先に立とうと小走りになりながら、また振り向いて笑顔を見せる。 「心配すんな、だいじょーぶだから」 むかし、小さな頃によくそうしていたみたいに、指と指を絡めて。 前を行く燐の背中を眺めていると、まるで自分まで小さな子供に逆戻りしてしまったような錯覚に陥りそうになる。 沈んだ赤色の絨毯が敷かれた長い廊下の先、前を行く勝呂たちの肩越しに見える仄明るい青い光。 どうやらあそこがゴンドラの乗り場で、ここから先がいよいよお化け屋敷の本番らしい。 焦燥と感傷を織り交ぜた奇妙な感情に呑まれそうになって、雪男は唇を噛んだ。 こんな状態の時にまで、兄に心配なんかされたくない。 あんな小さな手に守られるなんて、以ての外だ。 深く息を吸って、強く吐き出して。 弱くて俯きたがる気持ちを胸の中から追い払うと、雪男は繋いだ手はそのままに歩幅を大きく踏み出して、前を行く燐を反対に引っ張るかたちで歩き出した。 五歳児になってしまった燐と過ごす五日間のお話。二日目・10/8(土) |