男子厨房に立ち入るべからず、というワケではなかったけれど。 まわりの大人たちは皆、料理担当だとか清掃担当だとか。それぞれに役割を持って自分の仕事をこなしていたし、自宅では母親が。その母親が旅館を任されるようになると、今度はプロの板前が 当たり前のように食事の用意をしてくれていたものだから、勝呂が台所に立つということは小学校の家庭科の授業の時を除いては皆無だった。 もともと手先は器用な方だから、やってできないことはないと思う。 が、しかし。 なにせ今まで出されたものを食べるばかりだったから、味の良し悪しは分かっても、それが一体どういう手順でどんな調味料を使って作られているかなんて知らないし、料理道具を並べられても いまいち使い勝手が分からない。 「坊、睨んどっても料理は勝手にはできまへんえ」 「そないなこと、言われんでも分かっとる!」 旧男子寮には奥村兄弟の他に、ここで寝起きする人間はいない。 つまりは掃除、洗濯、食事の用意も全て自分たちの手でするしかないのだ。 汚れものが出たらクリーニングボックスへ放り込むだけ、三度の食事は時間になれば食堂へ行くだけ、自分でする事と言えば自室の清掃くらいのもので、プライベートスペース以外の風呂やトイレその他諸々の場所は 寮のハウスキーパーがこなしてくれるから、学生たちは日々の雑用に追われることなく勉学に励むことができる・・・という方針の新館男子寮の有難みが身にしみる。 「なー、早くメシつくろーぜー」 悪魔の呪いで、五歳児になってしまった燐と過ごす、本日二日目。 昨日は一日、めいっぱい遊園地で遊んだ後。旧男子寮前で奥村兄弟と別れようとしたら、雪男に手を繋がれた燐が寂しげな声で「帰っちゃうのかよ」と俯いた為、今日から学校が休みの間は勝呂たち三人も 外泊許可を取り、燐たちの住む旧男子寮に泊まり込むことになっている。 最初こそ「たまにはあっちで過ごすのも、気分転換になるだろう」くらいの軽い気持ちでいたのだけれど、それが大間違いだと気付いたのは空腹を覚え始めたお昼頃のこと。 これまでは旧男子寮に遊びにきた時は、燐の手料理を当たり前に食べていたのだけれど、さすがに五歳の燐がひとりでみんなの食事の用意などできるはずがなく。 更には雪男一人では手が回りきらなくなった掃除やら洗濯やらが、どっさり一週間分蓄積していて。燐と遊ぶつもりでやってきた京都組三人は、日曜日の朝から慣れない家事に勤しむ羽目になった。 恨みっこなしのじゃんけんで勝利した子猫丸と、料理は全くダメだという雪男が洗濯、掃除班。 二人揃ってパーを出し、仲良く負け組の志摩と勝呂は、燐と一緒に料理班の担当だ。 幸い買い物には行かなくても、まだ冷蔵庫の中には食材がそれなりに揃っていて、この週末くらいならば人数が増えても十分まかなえるだけの量はある。 しかし料理を任された勝呂と志摩に「冷蔵庫の中にあるもので適当に作る」という、主婦めいたスキルはなく。業務用の広々した冷蔵庫に揃った挽き肉やらキャベツやらを額を突き合わせて覗き込んで、どうしたもんかと途方に 暮れた。 「キャベツ、ニラ、しいたけ、玉ねぎ、挽き肉・・・これで何作るつもりやったんかな、奥村くん」 「その材料で料理検索してみたら、なんか出るんやないか?」 「あー、面倒臭いわぁ。もうルー買ってきて、カレーで良いんと違います?」 「そら俺やってそうしたいわ。けどな、これ腐らすワケにいかんやろ。勿体ない」 食べ物は粗末にしてはいけないという教育のもとで育った勝呂と志摩だ。 お百姓さんが一生懸命育てた野菜を、ただ使い方が分からないなんて理由で腐らせるなんて、そんな罰あたりなことができる訳がなかった。 とりあえず目に付いた野菜を冷蔵庫から出して調理台に並べ、まな板と包丁を用意してみる。 ご飯は炊飯器があるからどうにかなるとして、おかずは何をどうすればいいのか・・・・いっそ、全部適当に切って醤油でもかけて食べれば良いかなんて、そんな危険なことを考え始めた勝呂の後ろで、まだ冷蔵庫の中身 を漁っていた志摩が「あっ」と声を上げた。 「坊、謎が解けました!それ、餃子の材料ですわ」 「餃子ぁ?」 「間違いありまへんて、だって餃子の皮ありましたもん」 背が高いせいで冷蔵庫の下の段、それも奥の方は見落としがちになるものだ。 おれも!おれも!!と冷蔵庫を開けたがる燐と一緒に、背中を丸めて中を見ていた志摩は得意げな笑みを浮かべて、『餃子の皮50枚入り』と書かれた小さな袋を二つ掲げて見せる。 志摩から袋入りの餃子の皮を受け取って、パッケージの裏に細かい字で書かれた「簡単で美味しい餃子の作り方」というレシピにざっと目を通した勝呂は、傍らで一丁前に腕まくりを始めた燐を見下ろした。 「なぁ、お前は包丁使えるんか?」 「おう、だいじょーぶだぜ!おれ、いっつもメシ作るの手伝ってるからな」 「志摩は・・・微妙やな。よし、お前はここに書いてある調味料の分量計っとけ。面倒臭いから言うて、適当したらしばくからな」 「ええー、そんな細かいことやったら、坊がしはった方が」 「ガタガタ文句言うな、口やなくて手ェ動かせ」 「はいはいー」 まったく何の説明もないまま、あるもので作れと言われると途方に暮れてしまうけれど。 きちんと手順を説明したレシピがあれば、とりあえず前へ進むことはできる。 料理=難しいという先入観で及び腰になってしまっていたけれど、パッケージ裏のレシピを読む限り説明文は短く簡潔で、頑張ればお料理初心者の自分たちにもどうにかできそうな気がしてきた。 食堂の椅子を踏み台に立った調理場の真ん中。 子供の手には大きすぎる包丁を器用に使いこなして、燐がざくざくとキャベツを刻んでいく。 こんなちびっこが簡単にこなしているのだから、自分にだって手早くできるだろうと思ったのだけれど、これが意外と難しく。リズミカルに包丁を動かそうとすると、下の方がのれんのように繋がっていたり、 細かく刻むことに集中し始めると恐ろしく手が遅くなる。 大きな背中を丸めて、作業に集中するあまり眉間に皺を寄せた険しい顔でキャベツを刻む勝呂の手元を横から覗き込んで、燐が怖そうに首を竦めた。 「すぐろー、手ぇあぶねーぞ」 「ぁあ?」 「野菜押さえるほうの手は、こう」 わざわざ仕事を中断して体ごと勝呂の方へ向き直った燐が、よく見えるようにと包丁を持たない左の手を突き出して見せる。 ちいさな手がきゅっと軽く拳を握るので、真似して指を折って見せたら、燐は満足そうに笑って頷いた。 「ねこさんの手」 「猫?」 「そ、ねこさんの手で押さえたら、指切らねーよって教わったんだ」 「へぇ、そうなんか」 「なぁなぁ燐くん、塩コショウ適量ってどんくらいなん?」 「てきとーだよ、てきとー」 「ひどっ、なんか俺ん時だけアドバイス雑やない!?」 「そんなことねーよー」 目を逸らして、わざとらしく棒読みに応えるものだから、思わず笑ってしまった。 いくら小さくなってもこれは奥村燐、本人なのだから言動のひとつひとつが彼らしくて当然なのだけれど。自分たちと出会う前、この年頃の燐はこんな子供だったんだなと思うと、今と変わらない屈託のなさに改めて好意を 抱く。 くるくると良く動く表情。 得意げに笑った顔は元気な男の子そのもので、素直に可愛いと思った。 (・・・・これで、なんで嫌われ者やったんや、こいつ) 大きめのボウルに、みじん切りに刻んだ野菜と挽き肉に玉子。それから志摩が計った下味用の調味料を合わせていく。 志摩と二人してボウルの中に手を突っ込み、タネを混ぜ合わせながらキャッキャと声を上げて笑っている燐を眺めていると、勝呂はそんな疑問を抱かずにはいられなかった。 いくら馬鹿力だとは言っても、見ている限り燐がちゃんと手加減しているのは分かるし、確かに聞きわけが良いとは言い難いけれど、理不尽に暴れたりするような子供ではない。 たった二日でも、見た目を取り繕ったり誤魔化したりなんてできない五歳児だ。 こうやって側で見ている限り、勝呂の目には燐は何の変哲もない普通の子供にしか見えず。むしろこの子が暴れるのは、回りに問題があったんじゃないかとさえ思えた。 「坊、どないしはったんです?」 「なんかおっかない顔してんなぁ、腹でも痛いのか?」 「・・・ああ、いや。何でもあらへん」 まだ、誰にも明かしていない気持ち。 この先、燐にだって打ち明ける気のない。友情の枠から飛び出してしまった彼への想いは、こんなとき厄介なもので。 きっと燐が過去に受けたであろう、理不尽な仕打ちや嫌な思いを勝手に空想して、どうしようもない苛立ちを引き起こしたりする。 いま、自分が怒っても。どんなに腹を立てても、どうにもならないことくらい分かってるのに、ざわざわと荒波だった心はなかなか静かにはなってくれないのだ。 昼食のおかずのメイン、手作り餃子の準備は着々と進んでいて、あとはタネを皮で包んで焼くだけのところまできている。 本当はここでこそ人手が必要なことは分かっていたけれど、今こんな気持ちのまま燐の側にいたら、何かいらない余計なことを口走ってしまいそうで、勝呂は借りていたエプロンを外した。 「ここまでやったら、あとは二人でも構へんやろ?俺、若先生たちの方手伝ってくるわ」 「えーっ、すぐろ行っちゃうのかよー!」 すぐに不満の声を上げて口を尖らせる燐の頭に、ぽんと手を置く。 「せやかて、掃除組の仕事が終わる前に出来上がってしもたら、せっかくの餃子が冷めてまうやないか。ちょうどいいくらいに間に合うよう手伝ってくるさかい、お前は志摩と一緒にコッチ頼むわ」 任せたで?とそのまま髪をくしゃくしゃと撫でてやると、それは嬉しかったのか燐はにかっと笑って頷いた。 「おう、まかせとけ!なぁ、志摩?」 「はいはい、頑張らせてもらいますー。もう、ずるいわぁ、坊」 いつもだったら文句を言っても「やかまし」と突っ返されるところだけれど、今回ばかりは自分の分が悪いことを自覚しているから勝呂は何も言わない。 横を通り過ぎざま、志摩だけに聞こえる小声で「堪忍な」と謝って寄越した律儀な幼馴染の背中を見送って、残された志摩は傍らの燐を眺めた。 みんなに同じように懐いているようで、その実どうも勝呂が特にお気に入りな様子の燐は、すこしばかりつまらなさそうに餃子のタネを指で押して手遊びしている。 別に勝呂を押しのけて一番のポジションになろうとか、そんなことは思わないけれど。 どうせなら楽しい方が良いじゃないかと思案した志摩は、さっき物色した冷蔵庫の中にまだまだ色々な食材が入っていたことを思い出して、にんまりと笑った。 「燐くん、燐くん」 「なんだ、志摩?」 「なぁ、普通の餃子もエエけども―――――どうせやったら俺と、もっと面白いモン作らへん?」 next→ |